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書の作品

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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

左上の ▶ 再生ボタンを押して下さい。バッハ、イタリア協奏曲が流れます。もう一度押せば止まります。

壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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カテゴリー「令和「御朱印の旅」」の13件の記事

2022年7月 3日 (日)

令和「御朱印の旅」その13 須天熊野神社

石川県小松市にある 須天熊野神社(すあま くまのじんじゃ)に行って参りました。

ちょうど「茅の輪くぐり」の神事の前でお忙しい中、宮司様にもお目に掛かることが出来ました。

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御朱印は、見開きの手書きの絵が素晴らしいものです。有難く拝受いたしました。

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シジュウカラ、キビタキなど色鮮やかな四羽の鳥が描かれています。

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八咫烏(やたがらす)と 松の木が描かれた御朱印。


八咫烏は、日本神話に登場するカラスで、天照大神 (あまてらすおおみかみ) の使神として大烏となって現れ、道案内をしたとあります。
大きな頭と、足が3本というのが特徴です。

ご存じのように、八咫烏は 日本サッカー協会(JFA)のマークになっています。

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須天熊野神社 境内にある 八咫烏

八咫烏にお水をかけて帰路につきました。
尚、聞いた話では、宮司様は美大ご出身だそうです。絵がお上手なはずです。

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県民割を利用して近くの温泉に一泊してリフレッシュできました。

2022年5月20日 (金)

令和「御朱印の旅」その12 龍吟山 天猷寺

関ケ原の合戦後の1616年、馬場昌次公によって創建された 臨済宗 妙心寺派「龍吟山 天猷寺(てんにゅうじ)」へ行ってきました。
御本尊は釈迦如来、美濃瑞浪三十三霊場3番札所となっています。

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天猷寺の「天」は、仏天の「天」であり、「猷」は、道であって仏の道を説く寺である。「猷」は「ゆう」と読むが、云いやすいように「にゅう」と通称されている。(お寺のパンフレットより)

まるで水彩画のような御朱印、また水墨画タッチの御朱印ですが、書かれた言葉も俳句や短歌のように流麗で美しいものです。

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副ご住職に書いていただいた見開きの御朱印

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ご住職が書かれた取り置きの御朱印

お寺の裏手には、日本三大奉行(江戸町奉行、長崎奉行、京都町奉行)を務めた旗本馬場氏の歴代の「巨石墓」がありました。


帰りに、中央アルプスが一望できるカフェー清涯荘 」に立ち寄りました。
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2022年4月10日 (日)

令和「御朱印の旅」その11 駅前の弘法さん

真言宗 近江 大師寺(彦根駅前の弘法さん)に行って参りました。

日本でただ一か所、弘法大師の寝姿(等身大のブロンズ臥像)が奉安されています。

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画像 公益社団法人びわこビジターズビューローサイトより

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■ 絶景

彦根城に立ち寄り、天守閣から琵琶湖を眺めました。
弘法さんの御利益で満開の桜に出会えました。
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2022年2月19日 (土)

令和「御朱印の旅」その10 竹島弁天

三河湾国定公園の竹島に行ってきました。竹島は眺望が良いことから鉄道唱歌にも歌われています。

「八百富神社」は、その竹島の中心に鎮座する由緒あるお社(やしろ)です。創建は1181年、全部で五つのお社から成っています。

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海の上に掛かる長い歩道の先に竹島があります。
橋の上は強風で飛ばされそうでした。

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この鳥居をくぐると急な階段が続きます。
健脚なら大丈夫ですが高齢者にはきついです。


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やっとたどり着いた八百富神社。
祝詞を奏上して参りました。

御朱印は2種類
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八大竜神社は、雨ごいに霊験著しき神様として遠近に知られています。


今回は、いかにも縁起の良さそうな「八百富神社」に参拝して、帰りに近くのクラシックホテルでお茶を飲んで帰路につきました。
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2022年1月25日 (火)

令和「御朱印の旅」その9 内宮・外宮

2年と4か月ぶりに伊勢神宮に参拝いたしました。

今回は初めて外宮をお参りして、次の日に内宮をお参りさせていただきました。

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外宮では「せんぐう館」を見学して、式年遷宮に関する様々な展示に圧倒されました。

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御朱印はシンプルですが、押印の字体は「篆書体」(てんしょうたい)で書かれたもので格式を感じます。

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※令和元年に参拝した時の御朱印

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今回は、内宮神楽殿の神前にてお祓いをお願いしました。

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写真は伊勢神宮公式サイトより https://www.isejingu.or.jp/visit/prayer/

全く知りませんでしたが、伊勢神宮では神主さんが、起拝を四回、座した状態で拍手を八回、その直後に軽く短い拍手を一回(これを「八度拝・八開手」という)作法で祈祷されます。

普通は「二礼二拍手一礼」ですが、伊勢神宮は特別なのですね。祈祷後、神職の方に何故九回拍手をされたのですか?とお尋ねしたところ、「皇大神宮(こうたいじんぐう)の参拝作法ですから。」と説明がありました。


オミクロン株が猛威をふるっていますが、一日も早くコロナが終息して、令和四年が皆様に取りまして幸多き一年になりますよう願っております。

2021年12月26日 (日)

令和「御朱印の旅」その8 龍雲寺と金澤翔子

臨済宗妙心寺派 龍雲寺へ出掛けました。

700年前に時の皇太子であった木寺宮康親王によって開かれた禅宗の寺院です。(お寺のパンフレットより)

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江戸元禄時代(310年前)に再建された本堂を中心に9000坪の広大な境内を有し、寺の山頂からは佐鳴湖、南アルプスが一望できます。

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圧巻は、書家 金澤翔子さんが奉納した世界一大きい般若心経の作品です。
書のエネルギーがすごいです。多分コロナなんか退散すると思います。


その金澤翔子さんが書いた御朱印を始め、3種類の御朱印を拝授してまいりました。

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金澤翔子 円相デザイン

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静かな境内には、般若心経の読経が流れておりました。
年の瀬も押し迫りましたが、令和3年に感謝いたします。

来年令和4年の「御朱印の旅」は、伊勢神宮外宮からスタートする予定です。

2021年11月25日 (木)

令和「御朱印の旅」その7 玉龍寺・北の天満宮・金閣寺・永保持

御朱印の旅も久しぶりの更新になりました。

先ずは、下呂市金山町にある臨済宗妙心寺派の寺院「玉龍寺」を訪れました(令和2年11月27日)。
ご住職は「ひふみ祝詞」の研究家としても有名で、後日資料を送っていただきました。


次は、学問の神様として信仰の篤い 京都市上京区にある神社「北野天満宮」に行ってまいりました。
その帰りに嵯峨野トロッコ列車で、始まったばかりの紅葉を楽しみました(令和3年11月11日)。

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知人が京都で個展を開くと言うので東山のギャラリーへ。
その帰りに金閣寺へ行きました。実に15年ぶりです。(令和3年10月15日)

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そして最近は、多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の寺院「永保寺」に出掛けました。
(令和3年11月25日)

この寺院の紅葉が一番きれいでした。
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我が家の近くの神社も紅葉が見頃です。
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2020年10月29日 (木)

令和「御朱印の旅」その6 コロナ禍で中断も

伊勢神宮からスタートした 令和「御朱印の旅」は、コロナ禍で中断しながらも、近場の神社・仏閣を巡らせていただき、御朱印帳の半分が埋まりました。

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伊勢神宮謹製の御朱印長

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GO TOトラベル や GO TOイートを利用する人が増えています。
私も初めて、ネットで GO TOイートを申し込みました。

年内も残り2か月です。家に閉じこもっていないで、美味しいものを食べ、温泉に入り、御朱印の旅を続けたいと思います。
メインは御朱印ではありませんが、神様、仏様どうかお許し下さい。合掌

2019年10月 7日 (月)

令和「御朱印の旅」その5 極楽寺

秋にふさわしい御朱印を求めて、西方山 極楽寺へ行って来ました。

このお寺のご本山は、紅葉で有名な京都の永観堂です。

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秋限定の御朱印は、美濃和紙を使った美しい台紙に、金文字で阿弥陀如来と書いていただけますが、本来は浄土宗や浄土真宗では御朱印はないところが多く、阿弥陀如来と書かれた御朱印は珍しいかも知れません。

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尚、京都永観堂では「見返り阿弥陀」様(国重文)が有名ですが、極楽寺にも木彫りの「見返り阿弥陀」様が安置されていました。

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京都永観堂の見返り阿弥陀様 永観堂HPより

一足早い紅葉を、御朱印で味わうことが出来ました。合掌。

 

2019年7月 7日 (日)

令和「御朱印の旅」その4 天龍寺・崇福寺・常在寺

来年(2020年)のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの寺院を訪ね、それぞれ御朱印を授かって参りました。

■ 天龍寺
明智光秀が生まれてから30年を過ごしたとされる明智城(可児市)、その「大手門跡」からすぐの所に天龍寺はあります。
歴代明智氏の墓所があり、明智光秀の位牌もあります。この位牌は6尺1寸3分(1m80cm以上)あり日本一だそうです。参拝の人影はなく、私も静かにお参りさせていただきました。

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■ 崇福寺
本能寺の変で、信長・信忠父子が光秀に討たれると、信長の側室お鍋の方がその遺品を寺内に埋め、位牌を安置させました。
織田信長公の菩提所として、現在も信長・信忠父子の廟所があります。私の母方の菩提寺でもあり、有難いご縁をいただいております。

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■ 常在寺
斎藤家の菩提所で、斎藤道三と息子義龍の画像(重文)があります。ご住職の話では、先日、「麒麟がくる」で道三役を演じる俳優の 本木雅弘さんが寺を訪れたそうです。

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人物相関図(下図)を見る限り、明智家の娘(小見の方)が斎藤道三と結婚して、生まれた濃姫が織田信長に嫁いでいます。すなわち、明智家、斎藤家、織田家は親戚関係です。
戦国時代は政略結婚が一般的でしたが、利害が対立すれば戦になり、当事者の人生は翻弄されました。

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のちに、徳川三代将軍 家光の乳母になる春日局(かすがのつぼね)は、明智光秀の家来であった斎藤利三(としみつ)の娘です。春日局が4歳の時に「本能寺の変」が起き、父斎藤利三は明智光秀と共に織田信長を討ちます。しかし、その数日後「山崎の戦い」で豊臣秀吉に敗れ、父利三は処刑されます。
しかしその後、家光の乳母となり、春日局は大奥を舞台に絶大な権勢をふるいました。

明智家も斎藤家も織田家も徳川家も浅からぬ関係で結ばれておりながら、常に権力闘争に明け暮れていた訳ですが、最後は春日局の天下になったことは歴史のドラマ性を物語っています。

御朱印の旅は、歴史を学ぶ旅でもありました。(家系図は諸説あります)