来年(2020年)のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの寺院を訪ね、それぞれ御朱印を授かって参りました。
■ 天龍寺
明智光秀が生まれてから30年を過ごしたとされる明智城(可児市)、その「大手門跡」からすぐの所に天龍寺はあります。
歴代明智氏の墓所があり、明智光秀の位牌もあります。この位牌は6尺1寸3分(1m80cm以上)あり日本一だそうです。参拝の人影はなく、私も静かにお参りさせていただきました。
■ 崇福寺
本能寺の変で、信長・信忠父子が光秀に討たれると、信長の側室お鍋の方がその遺品を寺内に埋め、位牌を安置させました。
織田信長公の菩提所として、現在も信長・信忠父子の廟所があります。私の母方の菩提寺でもあり、有難いご縁をいただいております。
■ 常在寺
斎藤家の菩提所で、斎藤道三と息子義龍の画像(重文)があります。ご住職の話では、先日、「麒麟がくる」で道三役を演じる俳優の 本木雅弘さんが寺を訪れたそうです。
人物相関図(下図)を見る限り、明智家の娘(小見の方)が斎藤道三と結婚して、生まれた濃姫が織田信長に嫁いでいます。すなわち、明智家、斎藤家、織田家は親戚関係です。
戦国時代は政略結婚が一般的でしたが、利害が対立すれば戦になり、当事者の人生は翻弄されました。
のちに、徳川三代将軍 家光の乳母になる春日局(かすがのつぼね)は、明智光秀の家来であった斎藤利三(としみつ)の娘です。春日局が4歳の時に「本能寺の変」が起き、父斎藤利三は明智光秀と共に織田信長を討ちます。しかし、その数日後「山崎の戦い」で豊臣秀吉に敗れ、父利三は処刑されます。
しかしその後、家光の乳母となり、春日局は大奥を舞台に絶大な権勢をふるいました。
明智家も斎藤家も織田家も徳川家も浅からぬ関係で結ばれておりながら、常に権力闘争に明け暮れていた訳ですが、最後は春日局の天下になったことは歴史のドラマ性を物語っています。
御朱印の旅は、歴史を学ぶ旅でもありました。(家系図は諸説あります)