2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

開設以来のバックナンバー

書の作品

  • Img_20190628_0001_new
    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

左上の ▶ 再生ボタンを押して下さい。バッハ、イタリア協奏曲が流れます。もう一度押せば止まります。

壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
フォト
無料ブログはココログ

« 知られざる名曲 第266回 りんごの島/ アディンセル | トップページ | 知られざる名曲 第268回 アレグレット・ブリランテ / 山田耕筰 »

2024年10月 9日 (水)

知られざる名曲 第267回 おとぎの絵本 Op.113 第1曲 / シューマン

ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 - 1856)の「おとぎの絵本」Op.113 第1曲(1851年作曲)は晩年の室内楽作品の1つで、ヴィオラとピアノのために書かれました。

この曲は、デュッセルドルフ管弦楽団のコンサートマスター、ヴァシレフスキ(1822 - 1896)に捧げられています。

ヴァシレフスキは、メンデルスゾーンやシューマンのもとで学んだヴァイオリニストで、シューマンの死まで傍にいたのち、最初のシューマンの伝記本を書いたと言われています。

4362884_s
画像 ACワークス

この曲が作られた デュッセルドルフ時代(1850年 - 1854年)のシューマンは、創作意欲はあったものの、精神を病んで ライン川に投身自殺を図りました。救助されたシューマンはボン近郊のエンデニヒの療養所に収容され、2年後の1856年7月に46歳で生涯を閉じました。

死の直前、シューマンの妻 クララ・シューマンが書いた日記( 1854年2月)には、

「かわいそうなロベルト、ひどく辛いらしい。彼にはどんな音も音楽に聞こえてしまうのだ。……これが止まらなければ気が狂ってしまうと何度も訴えている。巨大な管弦楽のようなものが聞こえ、それが終わるかと思えば、また次の音楽が彼の幻想の中に聞こえてくるという具合で、幻聴はひどい状態に達している」とあります。 

しかしこの音楽は安らぎに満ち、すでにシューマンの精神は天国の花園にいたようです。


■ おとぎの絵本 Op.113 第1曲 / シューマン

読書家だった シューマンが絶えず読んだ ジャン・パウルの全集の次のような部分にアンダーラインを引いています。

「花は生きていて眠るからには、きっと子供や動物と同じように夢を見る。結局、生物はすべて夢を見るのだ」

 

« 知られざる名曲 第266回 りんごの島/ アディンセル | トップページ | 知られざる名曲 第268回 アレグレット・ブリランテ / 山田耕筰 »

音楽」カテゴリの記事

知られざるクラシック名曲の宝庫を開ける」カテゴリの記事