知られざる名曲 第245回 ピアノ協奏曲第1番 / ステファン・エルマス
アルメニア人の作曲家 ステファン・エルマス(Stéphan Elmas 1862 - 1937)の「ピアノ協奏曲第1番ト短調」が今回の主役です。
目の覚めるような冒頭の音楽と、その後に現れるショパンのピアノ協奏曲1番を思わせるロマンティックな旋律を聴いた時、私はすっかり魅せられてしまいました。
40分を超える大曲ですが、ロマン派的な美しい旋律、雄弁なピアノ、明快で生き生きしたオーケストラ、これは知られざるクラシックの名曲と言えると思います。
日本では無名の作曲家ですが、その生涯を調べてみました。
■ ステファン・エルマスの生涯(Wikipedia参照)
彼は、オスマン帝国のスミュルナ(現イズミル)の裕福な起業家の一家に生を受け、幼い頃からピアノを習いながら小品を作曲するようになり神童と言われました。やがて13歳になる頃には、早くもオール・リスト・プロでピアノ演奏会を開くヴィルトゥオーゾぶりを見せていました。
1879年、家族の反対を押し切って リストへの弟子入りを目指し、ドイツで念願のリストに会うことが出来たエルマスは、リストから助言を受け、ウィーン音楽院教授のアントン・ドーア、そして優れた作曲家で教会音楽家であったフランツ・クランに師事するようになります。
1885年にウィーン・デビューを飾り多くの称賛を得ました。作曲も継続し、ワルツ、、マズルカ、夜想曲、即興曲といった多数の小品を遺しました。
1887年、ウィーンのベーゼンドルファー・ザールでのリサイタルが大きな成功を収めると、フランス、イングランド、オーストリア、イタリアの各地でも大成功を収めました。プログラムには主に自作以外に、ベートーヴェン、ショパン、シューマンの作品を選びました。
その後ピアニストとして成功を収めてからは、アントン・ルビンシテインやジュール・マスネと親交を結び、1912年にスイスのジュネーヴに定住し、同地で作曲、教職、演奏を継続しましたが、次第に聴力の衰えを感じるようになり、外界との交流を閉ざすようになりました。
その頃、女性画家 エイメ・ラパンと出会いますが、彼女はエルマスを介護しながら、1937年に亡くなるまで良き交友関係を結びました。
■ ピアノ協奏曲第1番 ト短調 / ステファン・エルマス
1988年にはアルメニアの作曲家の遺産を世界に広めるため、ステファン・エルマス財団が設立され、エルマスの作品も再評価が進められています。ロマン派の音楽に立ち返った彼の作品がもっと日本でも広がることを期待します。
ピアニスト:アルメン・ババハニアン (Armen Babakhanian)
オーケストラ: エレバン国際祝祭交響楽団 / 指揮: アレクサンダー・シラノシアン