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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2022年9月25日 (日)

知られざる名曲 第168回 ノクターン嬰ハ短調 / アベラルド

今回は、フィリピンの偉大な作曲家 ニカノール・アベラルド (Nicanor Abelardo 1893 - 1934 ) のロマンティックな夜想曲にスポットを当てました。

アベラルドは5歳で音楽に出会い、6歳のときに父親からギターや民族楽器を教わりました。彼は父親が編曲した ロッシーニの「ウィリアム テル 序曲」を演奏するなど音楽的才能を発揮し、ヴァイオリンなどの楽器も難なく弾けるようになったと言います。

1916年、彼は新しく設立されたフィリピン大学音楽学部に入学し、在学中に大学の校歌を作曲しました。1921年には作曲の学位を取得し、その後大学院課程を経て、彼は音楽院の作曲部門の責任者になりました。この当時に主要な作品の多くが書かれています。

1931年、彼はマニラを離れてシカゴ音楽大学に入学しました。大学ではウィーン第二楽派、ヒンデミット、その他のヨーロッパのポストロマン主義の作曲家による革新的な音楽に影響を受けました。

彼がシカゴにいる間、家族は音楽院の近くで下宿を経営し彼を支えました。下宿は「小さな音楽院」という愛称で呼ばれていたそうです。

しかし、アルコール依存症だった彼は 1934年にアルコールによる心不全で亡くなりました。交響曲やオペラなど未完成の音楽のスケッチを残したまま41歳の生涯を閉じたのです。

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マラカニアン宮殿内の音楽室で作曲家 アベラルドの胸像を眺めるドゥテルテ大統領。
出典https://hmn.wiki/ja/Malaca%C3%B1an_Palace より


尚、このYouTube 動画は、The Flaming Piano という「炎」を使ったピアノ鍵盤で演奏されます。


■ ノクターン嬰ハ短調 / アベラルド



難易度はそれほど高い曲ではありませんが、どこか物悲しく叙情的な曲です。

楽譜のタイトルは「First Nocturne」。ペトルッチのサイトで無料でダウンロードできます(著作権も切れています)。
https://imslp.org/wiki/First_Nocturne_(Abelardo%2C_Nicanor)

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