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ブログは自己発信のツールでもあります。
久しぶりに、最近の思いを記事にしました。
■ 不当なボイコット
ロシアの音楽というだけで、チャイコフスキー始め多くのロシア作曲家の音楽が、コンサートからボイコットされています。
また、ロシアの音楽家の来日は中止になり、世界的にも演奏活動から締め出される動きが加速しています。
今回のロシアのウクライナ侵攻とは何の関係もない音楽やスポーツが、対立の構図の中で犠牲になっているのです。
先に侵攻し、攻撃を仕掛けたのはロシアです。
もちろんロシアを擁護するつもりはありませんが、音楽やスポーツを盾に取ってロシアに侵攻を思いとどまらせると称して、ロシアの音楽・音楽家を排除する動きは思慮に欠ける愚かな行為と言わざるを得ません。
■ 最優先は停戦協議 日本の使命
ロシアへの経済制裁、ウクライナへの支援は西側諸国の一員として日本の採るべき方針だと言うのは分かります。
ただ、日本がゴールデンウイークで賑わう中、ウクライナでは多くの人命が失われているのです。
言うまでもなく、先ずは両国の話し合いが最重要です。和平へ向けた外交努力は何処へ行ったのでしょう。
世界の政治指導者、とりわけ日本政府はプーチン大統領と会談を重ねた実績が有ります。今こそ日本がリーダーシップを取って、両国に停戦に向けたテーブルに着くよう働きかけることは出来ないのでしょうか。
■ 思考停止の日本国民
コロナ、ウクライナ、円安。
これらのニュースについて、テレビはどのチャンネルも全く同じ内容です。
別の考えを示す報道機関はありません。
物の見方は色々あると思います。世界は多面体だからです。
しかし、テレビも新聞も同じソースから得た同じ内容を流すだけです。
もしかしたら、私たち日本人は洗脳されていないでしょうか。
偏った考えに支配されていないでしょうか。
■ 黄金の3年間
農耕民族だった日本人は温厚で従順です。
ウクライナ外務省の「感謝国リスト(31か国)」から日本が外されていても、街頭の募金活動に励みます(私もその一人です)。
さて、この春から物価は上がり生活は苦しくなります。
野党は国民の生活を守るため、現政権と戦う気はあるのでしょうか。
今夏の参院選、このまま進めば、自公の勝利は目に見えています。
衆議院を途中で解散しない限り、自公政権は3年間は安泰です(すなわち長期政権)。これを「黄金の3年間」と呼びます。
3年間が、国民に取っての「黄金の3年間」ならいいのですが・・・
さあ、思考回路を起動させましょう。当ブログも老朽化したパソコンを起動させようと思います。
チャイコフスキー(1840-1893)のピアノ曲は意外と知られていません。今回は「ロマンスヘ短調」に焦点を当ててみたいと思います。
この美しい曲は、ベルギーのソプラノ歌手で女優の デジレ・アルトー(Désirée Artôt 1835 - 1907)に献呈されています。
画像 ACワークス(株)
チャイコフスキーは後年、弟に宛てた手紙の中で アルトーについて「非常に美しい仕草、上品な所作、芸術的な身のこなし」を身につけていると語っています。歌手・女優としての彼女に強く魅かれており、ホモセクシュアルの彼も一時期は彼女と婚約していました。
アンダンテ・カンタービレで歌われるロマンティック旋律は、チャイコフスキーの熱い恋心を表していますが、どこか哀しいメロディが心に響きます。
原曲のピアノではなく、ヴァイオリンとオーケストラの演奏(アレンジ)でお聴き下さい。
■ ロマンス Op.5 ヘ短調(Romance f-moll Op.5) /チャイコフスキー(Tchaikovsky)
チャイコフスキーの音楽は、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、いわれのない迫害を受けています。
日本のコンサートでも多くのチャイコフスキーの作品が演奏されない事態が続いています。演奏家の来日中止も相次いでいます。
歴史あるチャイコフスキー国際コンクールも、除名処分を受けました。
音楽やスポーツには、民族や言葉の壁がないはずです。何故、わざわざ壁を作るのでしょう。
“ロマンス ヘ短調” 世界の分断を嘆くチャイコフスキーの心の叫びが聞こえてきませんか。
クリス・ピルスナー(Chris Pilsner 1986- )は、アメリカの作曲家兼指揮者です。
セントラルミシガン大学で作曲の修士号を取得し、ノーザンコロラド大学で作曲の音楽学士号と音楽教育の学士号を取得しています。
彼のオーケストラ曲、吹奏楽曲、室内楽曲は、近年、世界中の聴衆、演奏者、指揮者から高く評価され、まさにクラシック音楽界の新星のような存在です。
今回は クリス・ピルスナーのファーストアルバム「Elements」 から The Lost Relic (失われた遺物=直訳)をお聴き下さい。
演奏は、Marton Barka 指揮/ Johannes Winkler Orchestra(弦楽オーケストラ)です。
■ The Lost Relic (失われた遺物)/ クリス・ピルスナー
いわゆるスケール感のある「カッコいい」曲です。
最近のNHK大河ドラマのテーマ曲のようなストーリー性も感じます。
中間部は、過ぎ去った日々を回想するかのような感傷的な音楽が素敵です。雄大な曲です。
クリス・ピルスナー 公式サイト
さて、現代音楽が失敗したことで、1950年頃で西洋クラシック音楽は止まったままです。
ピルスナー氏のような若い作曲家が、クラシック音楽の手法を継承しながら新しい音楽の世界を切り開いていくことを切に願うものです。
英国生まれの作曲家 カール・ジェンキンス(Karl Jenkins 1944- )の再登場です。
※(前回は→知られざる名曲 第5回 )
ジェンキンスは、ウェールズ人の父とドイツ人の血を引く母との間に生まれ、幼少期に教会の聖歌隊長を務めていた父の影響で、ピアノやオーボエを習い始める。その後、ウェールズ国立ユース・オーケストラの首席奏者となる。
ロンドン王立音楽院卒業後は ジャズロックグループ、ニュークリアスのメンバーとなり、多くの作曲と演奏に関わる。1990年代には彼がプロデュースするアディエマスのデビューアルバム『聖なる海の歌声』が世界的にヒット。
また日本でも女子フィギュアスケート 村主章枝のために書き下ろした「ファンタジア」が、2006年 - 2007年のフリープログラムで使用された。(Wikipediaより)
2015年にはナイトの称号を授与され、英国を代表する巨匠作曲家として現在に至っています。
■ アベルヴァンの惨事
この曲は、1966年イギリスの南ウェールズのアベルヴァン村で大雨により炭鉱のボタ山が崩れた事故を悼んで書かれました。
■ 嘆きの谷 Lament For The Valley /カール・ジェンキンス
「Cantata Memoria – For The Children」より
指揮はカール・ジェンキンス自身、ヴァイオリンソロは、韓国生まれの英国人ヴァイオリニスト、ジュヨンサーさんです。
ヴァイオリンのオブリガート(助奏)が悲劇的な感情を表し、子供たちの愁いを含んだ合唱が深い嘆きを表しています。
どの作曲家も到達し得なかった「祈りの境地」を私たちは聴くことができます。
「音楽を聴き、演奏するのは楽しいが、それをゼロから創ることは、もっと楽しい」天野正道
http://www.adnet-sakigake.com/kyo/interview/amano/amano.html
久々に日本人の作曲家にスポットを当てました。
天野 正道(あまの まさみち、1957 - )は、日本の作曲家、編曲家。秋田県秋田市出身。国立音楽大学に進学し、在学中よりクラシック音楽、現代音楽はもとより、ジャズ、ロック、民族音楽から歌謡曲まで幅広い活動をはじめる。1982年に同大学院作曲専攻創作科を首席で修了。(Wikipediaより)
具体的な作曲ジャンルは、アニメ・ゲーム・映画音楽から、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽などです。
この曲は横山光輝原作のアニメ『ジャイアントロボ -地球が静止する日』の音楽です。
演奏はポーランドのワルシャワ弦楽四重奏団です。
■ 弦楽四重奏「豪傑たちの黄昏」String Quartet No. 1 "Twilight of the Heroes/ 天野正道
悲しいけれども、ため息が出るほど美しい。
悲しいけれども、高貴な光に満ちている。
「瞑想のピアニスト」として活躍中の作曲家 ウォン・ウィンツァン氏(黄 永燦、Wong WingTsan )の二度目の登場です。
ウォン・ウィンツァン氏は、1949年日本の神戸市生まれ。お父さんは香港出身、お母さんは日本人と中国人のハーフです。
画像 ACワークス(株)
画像 教育出版 植物ずかん より
タイトルの白詰草(シロツメクサ)とは、ヨーロッパ原産のマメ科の植物で、英語名のクローバー(厳密にはホワイトクローバー)の名前でもよく知られています。
3枚1組の葉と、まるく集まった白い花の穂を次々と出しながら地面を這うようにのびていきます。(野田市サイト参照)
道ばたや公園で見かけますね。
■ 白詰草の丘で / ウォン・ウィンツァン
演奏はクラシックスタイルですが、とても心地よいサウンドで、イージーリスニングとも言えます。
古くはヴィヴァルディも、バッハ、モーツァルトも、シューベルト、チャイコフスキーも、そして近代ではラフマニノフも、イージーリスニング(ムードミュージック)のような曲を作っています。
■ イージーリスニング的なクラシック曲の例
1.ヴィヴァルディ 四季「冬」第2楽章
2.モーツァルト ピアノ協奏曲21番より
3.チャイコフスキー 感傷的なワルツ
クラシックの大家もかつては現代でいうイージーリスニング的な曲をたくさん作っています。
クラシックとイージーリスニングを区別することは意味がありません。
ストレス充満の現代社会では、音楽は心の休日であり、安らぎの聖地です。
当シリーズはこれからもその観点から名曲をご紹介して参ります。
レオン・ミンクス(Léon Fedorovich Minkus, 1826- 1917)は、19世紀を代表するバレエ作曲家です。
オーストリア帝国出身で、ロシア帝国で活躍しましたが、20年近くにわたってペテルブルクのロシア帝室バレエ(現マリインスキー・バレエ)の舞踊音楽を担当しました。「ドン・キホーテ」(1869年)は彼の代表作です。
画像 ACワークス(株)
本作は、スペインのバルセロナを舞台に、主人公のカップルが親の反対を乗り越えて結婚に至るまでを描いた喜劇ですが、ドン・キホーテは主人公ではなく脇役として登場します。
全編にあふれるスペイン情緒の中で、クラシック・バレエの高度なテクニック、スペイン舞踊やコミカルな演技が取り入れられた華やかな舞台が特長です。(一部Wikipediaより)
■ バレエ音楽「ドン・キホーテ」 第2幕「ジプシーの踊り」 /レオン・ミンクス
演奏は、ソフィア国立歌劇場管弦楽団/ナイデン・トドロフ(指揮)。
バレエ音楽らしい躍動感に満ちていますが、中間部は抒情的です。
表情豊かなバレエ音楽の一級品と言えるでしょう。
しかし、彼はチャイコフスキーと同世代の作曲家であることが不幸でした。知名度はありません。
ロシア政府からの年金に不満を持っていたミンクスは、ウィーンに移りその地で生涯を閉じました。
今回は日本語倶楽部(編)の「その言葉、もう使われていませんよ」をご紹介します。
言われてみれば、
最近では、ウクライナの地名「キエフ」が、現地の発音から「キーウ」に変更になりました。
少し前には、チェコの「モルダウ川」が、「ヴルタヴァ川」に変更され、有名なスメタナ作曲の「モルダウ」も正確には間違いとなりました。
時代の変化と共に言葉も日々変化しています。
いつの間にか使われなくなった言葉を再認識する本の誕生です。
私たちが今まで使ってきた「はだ色」は今の小学生は知りません。
スチュワーデスも、登校拒否も、婦人警官も、今は別の言葉に改められました。
カモフラージュや、フラダンスも正確ではなくなりました。
官製はがきは、何と言うのでしょう?
失業保険は、何と言うのでしょう?
この本は、死語や廃語になった言葉に焦点を当て、期限切れの日本語をチェックします。是非ご一読下さい。
■ さて、今年の 直木賞「黒牢城」(米澤穂信著) を読みました。久しぶりのミステリー歴史小説、皆様も読まれたでしょうか。
本は、ついつい夢中になるとこの世の嫌なニュースを忘れさせてくれます。現実逃避かも知れませんが、テレビを見る時間を、読書や音楽を聴く時間に変えることで心の平安が保てます。
■ 当ブログ記事(ご参考)
・知られざるクラシック名曲の宝庫を開けるシリーズ 3(更新中)
今回はフランスの女性作曲家 Mel Bonis (メラニー・ボニス 1858-1937)の ピアノ三重奏曲 Soir-Matin, Op. 76 より 「Soir(夜). Andante cantabile」を選曲しました。
メラニー・ボニス、初めて名前を聞く方も多いと思います。
忘れ去られていた 作曲家メラニー・ボニス ですが、近年再評価され、その美しい音楽が YouTube でも視聴できるようになりました。
画像 ACワークス(株)
彼女は数奇な運命をたどった作曲家です。
親から勧められた結婚生活は3人の子供に恵まれたものの、夫は音楽に全く興味がなく、ボニスは家事と育児に追われる毎日でした。
その頃ボニスは、かつてのパリ音楽院時代の恋人 エティシュ と再会します。
二人は愛し合い、遂にボニスはエティシュの間にマデレーヌという女の子を出産します。
マデレーヌは隠し子としてエティシュによって育てられましたが、マデレーヌが、ボニスの長男 エドゥアールと恋に落ちるという事件が起こります。
異父兄妹の道ならぬ恋、ボニスはマデレーヌに出生の秘密を打ち明けます。
マデレーヌは大きな心の傷を抱えながら、それでも母娘の親密な関係は生涯に渡って続き、寡婦となっていたボニスとマデレーヌはマデレーヌが結婚するまで共に暮らしました。
晩年のボニスは芸術家として募る孤独と病気に脅かされながらも、いっそう作曲に励んだといいます。(一部Wikipediaより)
■ ピアノ三重奏曲 Soir-Matin, Op. 76 より 「Soir(夜). Andante cantabile」/メラニー・ボニス
作曲家 ボニスの波乱に富んだ生涯を全く感じさせない穏やかな音楽。
彼女は作曲に没頭することで心のやすらぎを得ていたのだと思います。