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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2021年6月18日 (金)

知られざる名曲 第56回 東洋の舞姫/須賀田礒太郎

須賀田礒太郎(すがた いそたろう、明治40年生まれ)は、数奇な運命をたどった日本の作曲家です。

祖父が生糸の取引などで莫大な財をなし、裕福な家庭で何不自由なく育った須賀田は幼少から音楽と美術に興味を持ちました。

しかし昭和2年、須賀田は当時不治の病と言われた 肺結核に掛かります。
病状安定後は、 山田耕筰、信時潔両氏にドイツ・ロマン派の作曲理論の指導を仰ぐなど、日本の音楽界の重鎮に師事しました。

太平洋戦争開戦の昭和16年、須賀田はJOAK(NHKのコールサイン)から戦死者葬送のための音楽の作曲を委嘱され、「葬送曲・追想」が作曲されましたが、この曲は後に、山本五十六の国葬の際演奏されました。

30曲に及ぶ管弦楽、室内楽、歌曲、ピアノ曲などの作品を書きましたが、病状の悪化とともに死期が近いことを悟った 須賀田は、その全ての作品をトランクに収め、45年の生涯を閉じました。

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須賀田の死後、彼の名は音楽界から完全に忘れ去られていましたが、

1999年5月、当時須賀田が住んでいた住居の 古びた蔵から大きなトランクが発見され、トランクを開けた瞬間、今まで闇の中で熟成されてきた須賀田礒太郎という名の作曲家の思いのたけが、50年の時を超えて大空に舞いあがったのです。(Wikipediaより)


■ 第56回 東洋の舞姫/須賀田礒太郎(1907 - 1952)

私がこの曲を初めてNaxos(ナクソス)のCD(2007年1月 発売)で聴いた時は、
その躍動感に満ちた音楽と
オリエンタルな旋律が耳から離れませんでした。

日本の名曲にもかかわらず、このYouTube動画がまだ120回しか再生されていないことはとても残念です。





参考資料 Wikipediaより
画像   ACワークス(株)

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