鴎(かもめ)
先日、テノール市川太一さんのコンサートで、三好達治作詞の「鴎(かもめ)」を聴かせて頂き、大いに感動しました。
そこで久しぶりにブログを更新します。
■ 学徒出陣と特攻隊
日本の敗戦の色濃い1944年10月20日、大西滝治郎中将(第一航空艦隊司令長官)の命令によって「神風特別攻撃隊」が結成されました。
そして、翌21日、初めての特攻隊と言われる 海軍の「大和隊」がフィリピンに向けて出撃しました。
出撃した特攻隊の一覧 Wikipedia
ちょうど76年前の今日(10月21日)です。特攻隊は若者が多く、学徒出陣で特攻隊に志願した者も少なくありませんでした。
※学徒出陣で出征した学生は13万人との説があるものの詳細な記録はありません。
■ 天皇は遺憾の意を表明
10月26日、神風特攻隊の戦果を昭和天皇(大元帥)に奏上したところ、「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった。」と御嘉賞の勅語を賜り、10月30日には米内光政海軍大臣に、「かくまでせねばならぬとは、まことに遺憾である。神風特別攻撃隊はよくやった。隊員諸氏には哀惜の情にたえぬ。」と発言されたといわれています。
大西中将はこの昭和天皇のお言葉を、作戦指導に対する叱責と感じて恐れ入り、10月27日、参謀の猪口に「こんなことしなければならないのは日本の作戦指導がいかにまずいかを表している。統帥の外道だよ。」と語っています。
しかし、その後も特攻は続き、終戦までの犠牲者は4000人に達しました。
<a href="https://www.photo-ac.com/profile/2250038">pianoman555</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真
■ 三好達治(1900-1964)の「鴎(かもめ)」
戦時中、詩人の三好達治は戦意高揚のため、戦争賛美の詩を書いていましたが、学徒出陣前の講演で「何故君たちのような若者が戦場に向かわなくてはいけないのか・・」と学生達の前で声を詰まらせたといいます。
戦争が終わり、三好は多くの戦死した若者の魂を、自由に乱舞するカモメの姿に重ねて詩を作りました。カモメは、学徒出陣前の学生たちの白い制服からのイメージだったのです。
同時に、特攻で出撃する若者が、大空に飛び立つ鴎(カモメ)に見えたかも知れません。
「彼ら」とは、実は戦争で命を落とした学生たちの魂を指しています。 「ついに自由は彼らのものだ」とは、戦争が終わり戦死者の魂が自由に躍動 しているさまを、カモメの姿に託して表現しました。この「ついに」のフレーズには、深い鎮魂の意味が込められています。 紺青の海、そして、抜けるような青空の間を自由に群舞する白いカモメ、そこに 映える夕焼け、朝焼けの赤に学徒出陣で亡くなった学生の魂が漂っているようです。
作曲した木下牧子さんも、繰り返し表現されている『ついに自由は彼らのものだ』という言葉に、強い祈りを感じると語っています。
(Wikipedia、ネット上の投稿から一部転記しました)
鴎(かもめ) 三好達治/詩 木下牧子/曲
ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
一つの星をすみかとし
一つの言葉でことたりる
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
朝やけを朝の歌とし
夕やけを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ
■ 参考YouTube
当ブログ 知られざる名曲 第75回 鴎(かもめ)/木下牧子
鴎 男声合唱/お江戸コラリアーず
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