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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2018年9月 6日 (木)

笑えば衰弱、怒れば健康

「笑えば衰弱、怒れば健康」

健康の常識と真逆の持論を展開するのは、私の大先輩でトークサロン「元気会」を主宰しているA氏、御年86歳である。

世の万般に通じる深い見識を持ち、社会全体から政治に至るまで、ブレることのない確固たる思想信条は多くの人に影響を与えた。私も影響を受けた一人である。

そのA氏が、以前ある雑誌に寄稿した一文が「笑えば衰弱、怒れば健康」である。一見ユニークな意見と感じるが、よく読むと現代の閉塞的な社会を風刺していて面白い。

氏の真意を当ブログで独自に解説することにした

■ 笑えば衰弱

「笑い」といっても、良い意味の笑いと悪い意味の笑いがある。すなわち、明るく健康的な笑いと、嘲笑(ちょうしょう)や冷笑(れいしょう)といわれる笑いである。

最近の日本では、相手をあざ笑ったり、さげすんだりする笑いが、地位や名声のある人から発せられてはいないだろうか。

虚偽の発言が堂々とまかり通り、隠ぺいや改ざんが繰り返されている日本。地位を利用したスポーツ界のパワハラや不正。

テレビのワイドショーの視聴率は上がっても、あまりに多い不祥事に国民はマヒ状態に陥っている。

多くの不祥事は時間と共に忘れ去られ、その陰でまんまと逃げきった人の「あざ笑う」声が聞こえる。

後に残るのは、モヤモヤした閉塞感だけである。「やはり社会は変わらない・・・」と。

そんな時、我々は自分の心をごまかすため「苦笑い」をするしかないだろう。怒ることもせず、ニヤニヤするしかないのだ。

この受け身的な弱者の笑いが、精神を衰弱させる。やがては気力も体力も失っていく。

「笑えば衰弱」の意味はこの事である。

被害者であるはずの弱者の被虐的とも言える笑いが衰弱を招くことになる。これはエレジーと言うほかない。

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だから我々はもっと怒るべきだ。その方が余程健康的である。

■ 「怒れば健康」

かつて日本では、怒りのパワーが充満していた。安保闘争では、学生や労働者などが国会議事堂を取り囲んだ。市民が声を大にして自分の考えを主張した時代があった。

怒るべきことは当時と変わらないほどたくさんあるのに、今は抗議の手紙や電話が殺到することは少ない。何故だろう。

最近は、ネットが怒りの受け皿になっているからではないか。怒りの連鎖を炎上と言い、度々起こる現象である。

しかし、正義感からくる匿名の抗議や批判は結構だが、自分の意見や信念は希薄になっているような気がしてならない。

不寛容社会だけが進行して、バッシングは盛んだが、自分の意見を持たない人も増えている。

怒ることで、自分の主張をはっきりさせ、言うべきことは言って、建設的な意見交換を誘発することは出来ないだろうか。

そんな建設的な怒りが、貴方の健康を増進させると思う。

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