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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2017年10月18日 (水)

あるレクチャーコンサートに見る 「右脳と左脳」

最近、レクチャー コンサートが増えています。

レクチャーコンサートとは、解説付きのコンサートのことです。特にクラシックの場合、曲の解説があると理解し易く、大変親切なコンサートと言えます。

このレクチャー(解説)を、演奏者自らが行うコンサートを見かける機会が多くなりました。つい先日も、ピアニストが曲の解説をしながら演奏していました。

決して悪いことではありませんが、演奏をしながら解説もすることは演奏家に取って負担があるように思えてなりません。

何故なら、人間の脳には役割分担があって、演奏をする時は「右脳」を使い、解説をする時は「左脳」を使うようにできているからです。

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両方の脳を上手く切り替えて、このレクチャーコンサートをこなす人もいますが、中にはバランスが取れず混乱してしまう人もいます。

演奏中に、頭の片方では解説のことを考えていますから、演奏に集中できないかも知れません。逆に、解説中にも頭の中は演奏の事でいっぱいです。

メモを読む人もいますが、大抵は棒読みになってしまい、せっかくのレクチャーコンサートが台無しです。しかし、演奏家の責任ではありません。

理想は、演奏家は演奏に集中し、レクチャーは別の誰かが行うことです。一人で二役をすることは無理があるように思えます。


コンサートのスタイルは時代と共に変化していますが、レクチャーコンサートは時代の流れかも知れません。とすれば、次の時代はどんなコンサートの形式になるか楽しみです。

もしかすると、コンサートでは目の敵にされるスマホを使ったクラシックコンサートの時代が来るかも知れません。

紙ベースのプログラムは、スマホで配信される画面に代わり、解説もスマホから聞ける。そんな時代が来るかも知れません。もうどこかで始まっているでしょうか・・・

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