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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2017年7月15日 (土)

ふるふる館の謎

全く個人的な記事ですが、近所に 「ふるふる館(やかた)」 という変わった名前のマンションがあります。 実は私の友人も住んでいます。

このマンションのオーナー様には、ブログのネタにして申し訳ないと思いながら、この奇妙なネーミングの謎に迫ってみようと思いました。

E4100772
マンション「ふるふる館」全景 平成10年3月築

実は昭和の初期まで、このあたりには「長良古々川(ふるふるがわ)」という川が流れていました。

岐阜市のシンボル清流 「長良川」 は、もともと、「長良古川 (ふるかわ)」、「長良古々川 (ふるふるがわ)」、「井川 ( 現長良川 )」 の3本から成っていました。

この街に60年以上も住んでいるのに、長良川が3本あったことなど全く知りませんでした。

Gifushimap01

岐阜歴史探訪より http://gifutravel.webcrow.jp/gifu/02gifushi01.html

明治、大正時代以前には、この3本の川が氾濫し、流域に多大な被害が出ていました。

度重なる水害から町を守るため、昭和の初期に大々的な治水工事が行われ、古川と古々川は廃川となりました。

以後この広大な河川敷は、公共施設(メモリアルセンターなど)や住宅地として発展し、現在に至っています。我家の建っている所も河川敷だったようです。

この 「ふるふる館」 というマンションも、「古々(ふるふる)川」 から取ったネーミングだったわけです。



何でも興味を持つことは良いことです。ちょっとしたことでも疑問に思ってみると、意外と色々分かってきます。 歴史の勉強になったりします。

今回の件は近所の知人から聞きましたが、今はネットでも調べられます。郷土の歴史を学ぶことで未来の展望も開けるような気がします。

■ 参考動画 長良川デジタル百科辞典 (リンク切れはご容赦下さい)


次は、郷土の氏神様にまつわる謎に迫りたいと思います(現在調査中)。ご期待下さい。

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