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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2017年6月 9日 (金)

人生は音楽の時間のように/時の記念日

6月10日は 「時の記念日」 です!

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トケイソウ(時計草) http://blog.goo.ne.jp/tettsuan/e/a0ca738d3636b79084f2c69ba5011cb0

小学生の頃、「時の記念日」 のポスターを書いた覚えがあります。 今の小学生も書くのでしょうか。 あの頃は 「時の記念日」 がとても大事な日だったと記憶していますが、最近は忘れ去られた日になっていませんか。

本日の「中日春秋」に、詩人の長田(おさだ)弘さんの 「グレン・グールドの9分32秒」 という詩の一部が紹介されていました。

あらためて、時の物理的な長さより、時の 「質」 の大切さを教えられたような気がします。(以下 詩の全文)

グレン・グールドの9分32秒           長田弘

白と黒の鍵盤で縁どられた
31センチ四方の紙のジャケットから
黒いLPレコードをとりだして、
魂をとりだしてそこに置くように
小さなプレイヤーのターンテーブルの上に置く。

グレン・グールドが自身のピアノの曲にした
ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
第一幕への前奏曲。その曲だけは、
いまでも、レコードで聴く。

最後の一枚です、と手書きで添書きされて、
いまはないレコードショップの棚に、
棚仕舞いの日まで置かれていたレコードだった。

針がレコードに落ちるまでの、
ほんの一瞬の、途方もなく永い時間。

ワーグナーのおそろしく濃密なポリフォニーから
すばらしく楽しい対位法を描きだして、
響きあうピアノのことばにして、
グールドが遺した
9分32秒の小さな永遠。


芸術は完成を目的とするものではないと思う。

微塵のように飛び散って、
きらめきのように
沈黙を充たすものだと思う。

あらゆる時間は過ぎ去るけれども、
グールドの9分32秒は過ぎ去らない。

聴くたびに、いま初めて聴く曲のように聴く。

いつもチョウムチョロム(初めてのように)という
韓国のソジュ(焼酎)を啜りながら、聴く。

一日をきれいに生きられたらいいのだ。

人生は、音楽の時間のようだと思う。


>
Glenn Gould - Wagner -Prelude To Act 1 of Die Meistersinger (arr. Glenn Gould)


■ 当ブログ記事 長田弘 最初の質問 

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