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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2017年1月14日 (土)

2017年メモリアルイヤーの二人の共通点とは

2017年がメモリアルイヤーの偉人の中から当ブログが選んだのは、生誕150年のスペインの作曲家 エンリケ・グラナドスと、日本の文豪 夏目漱石です。

生涯にわたり何の接点もない二人ですが、意外な共通点を見つけました。

二人は共に、1867年生まれですが、実は没年も同じで1916年に亡くなっています。西洋と日本ですが、全く同時代に生きたことになります。

先ずは近代スペイン音楽の祖 グラナドスからみてみます。

■ エンリケ・グラナドス(1867~1916)

スペインのカタルーニャ地方の音楽一家に生まれたグラナドスは早くから音楽的才能を発揮し、ピアノや作曲を学び、名門パリ音楽院に入学するはずでしたが、直前にチフスにかかり断念、その後、グリーグのピアノ協奏曲のピアニストとしてデビューしました。

25歳の時、アンパロ・ガルと恋愛の末結婚しました。彼の代表作となった「スペイン舞曲集」 はこの頃から作られました。

グラナドスの音楽は色彩豊かでスペイン風でありながら、叙情的で洗練されたロマン派の雰囲気を漂わせるところが魅力です。

世界的なチェリスト パブロ・カザルスは、「 グラナドスは……私たちのシューベルトだ。」 と言って、その詩情に満ちた作風を称えました。

しかし、彼は大成功の後、48歳で不慮の死を遂げることになるのです。折しも第1次世界大戦の真っただ中でした。

グラナドスは、オペラ 「ゴイェスカス」 がニューヨーク メトロポリタン歌劇場で大成功を収め、大統領の招きによりホワイトハウスで演奏会を開きましたが、その帰路、英仏海峡を渡航中、ドイツ軍の潜航艇Uボートによる魚雷攻撃を受け亡くなりました。

魚雷で亡くなった音楽家は例を見ません。まさに非業の死でした。

YouTube スペイン舞曲集より「アンダルーサ」 グラナドス(Pf) Granados plays Granados, Danza espanola no 5, Andaluza

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グラナドスと漱石  口ひげを蓄えた顔も良く似ています

■ 夏目漱石(1867~1916)

慶応3年、江戸(東京)の裕福な家庭に生まれました。(本名は夏目 金之助)。明治の文豪ですが、生まれた時は江戸時代になります。

帝国大学在学中に俳人 正岡子規と親交を深めました。また、若き日の高浜虚子とも出会っています。後に漱石は俳壇で活躍するようになります。

卒業後、松山で中学校教師、熊本で高等学校教授などを務め、その後英国へ留学。帰国後、東京帝国大学講師となりました。

そして、高浜虚子の薦めで処女作 「吾輩は猫である」(1905年※) を雑誌 「ホトトギス」 に発表。これが評判になり 「坊っちゃん」 「草枕」 「三四郎」 などを世に出しました。(※1905年といえば、日露戦争勃発の翌年です)

しかし、晩年は神経衰弱や胃潰瘍に悩まされ、「門」を執筆中に悪化し、「明暗」が絶筆となりました。千円札に肖像画が使用された時期もあり、広く国民に愛されました。

クラシック音楽には英国留学中に接したとされ、帰国後も奏楽堂に通ったと言われています。小説にも影響を与えました。

事実、小説 「野分」 には、「これなくして生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると一般である。」 とあり、音楽や学問などを趣味とする生き方に言及しています。また、「吾輩は猫である」 には、ヴァイオリンを嗜む 水島 寒月が登場します。

尚、漱石の長男 夏目純一氏(1907 - 1999)はヴァイオリニストとして活躍しました。



以上、二人の共通点は、生没年、口ひげ、音楽、そして戦争です。

日本では、日清・日露戦争、ヨーロッパは第1次世界大戦の時代でした。戦争の犠牲となったグラナドスと違い、漱石は戦争に関わることなく生涯を閉じました。

今回、同年代を生きた二人の文化人に焦点を当て、その生涯を勉強する機会を得たことはささやかな天からのギフトです。何故なら、大雪で予定のランチ会もコンサートも延期されたからです。その恵みに感謝いたします。

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