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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2017年1月10日 (火)

名曲喫茶 「G線」 の思い出

名曲喫茶とは、普通の喫茶店、カフェとは異なりクラシック音楽を音響装置によって客に提供する場所である。 (Wikipedia)


私が中学か高校の頃ですから、もう50年も昔ですが、岐阜の柳ケ瀬には 「G(ジー)線」 という名曲喫茶がありました。 
※クラシック通を気取って、「G(ゲー)線」という人もいました。

狭い階段を上って入口を開けると、薄暗い店内はいつも客であふれていましたが、何よりクラシック音楽が充満している空間が心地よく、音楽雑誌(レコード芸術など)を読みながら長い時間を過ごしたものです。

市内のレコード店から取り寄せたばかりのクラシックの新譜がいち早く聴けることも魅力でした。そして仲間が出来ると夜遅くまで音楽談義に花を咲かせました。

同じ柳ケ瀬に 「田園」 という名曲喫茶もありましたが、ここは純粋にクラシック音楽を聴く店で、スピーカーの方を向いて椅子が並べられ、私語も禁止でした。

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イメージ写真

昭和40年代も半ばを過ぎると、オーディオ装置が各家庭にも普及しはじめました。そして、次第に名曲喫茶は姿を消していったのです。

それでも、クラシックの好きなオーナーが始めた喫茶店は存在し、「ポロネーズ」 や 「ラ・カンパネラ」 に足を運びました。 タンノイ製の大型スピーカーから響く音楽は家庭では味わうことが出来ません。良き思い出です。

最近は、BGMとしてクラシックを流す店も多く、「珈琲時間(コーヒータイム)」、「B.C.B.G(ベーセベージェ)」、「珈琲物語」 、「茶房欧亜」、「カフェ・ド・ギャラリーアダチ」 などで、時々美味しい珈琲をいただいています。

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