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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2016年10月25日 (火)

秋の一枚/いわさきちひろ

木の葉の精(1973年)    いわさきちひろ


■ いわさきちひろ
(絵本画家)

恵まれた家庭に育ち早くから絵の才能に目覚める。20歳で結婚して満州に渡るが、夫は自殺、帰国後は書家を目指した。空襲で家を焼失し、実家の松本に疎開、この頃から反戦の思いが強まる。27歳の時、日本共産党の演説に共感し入党、同時に画家として自立を決意。その後、松本善明氏(のちに国会議員)と結婚、式はレーニンの命日を選んだ。

子を授かったものの、仕事との両立が出来ず、やむなく遠く離れた実家に赤ん坊を預けたため、母乳は近所の赤ちゃんに与えていたが、その赤ちゃんはタレントの三宅裕司となった。

1974年、55歳で他界。最後まで 「子どもの幸せと平和」 を願い、原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子どもたちに心を寄せていた。没後も、ちひろの絵は様々な場面で用いられた。そのひとつに「窓ぎわのトットちゃん(黒柳徹子著、講談社)」がある。(一部Wikipediaより)

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「私の持って生まれた仕事は絵を描くことなのだ。」

ちひろは、生涯にわたり命の象徴として 「子ども」 を描き続けました。人生のどん底を見たからこそ描けた優しい世界。

作品の多くは、ちひろ美術館・東京(館長:黒柳徹子氏)、安曇野ちひろ美術館(初代館長は子息の松本猛氏、二代目館長は黒柳徹子氏)に収蔵されています。


「木の葉の精
(1973年)」 は、ちひろが原発性肝臓癌で亡くなる前年に描かれた作品ですが、命が輝いています。


「木の葉の精」
   いわさきちひろ


木の葉舞う秋にお勧めの心温まる一枚です。



いわさきちひろ 画像集

映画『いわさきちひろ ~27歳の旅立ち~』予告編


■ 当ブログ 秋の一句/山頭火

 

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