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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2016年10月 4日 (火)

グレン・グールド 変人ぶりランキング10

24年前の今日、異端のピアニスト グレン・グールドが50歳で亡くなりました。

Gould_grave

カナダ トロントにある グールドの墓石、バッハ ゴールトベルク変奏曲 BWV988 アリアの冒頭2小節が刻まれている。

グールドは、奇人・変人と言われました。 命日に因み、その奇々怪々な行動を、当ブログがランキングしてみました。


■ グールド変人ぶりランキング10

1.演奏中にメロディの一部を歌ったり、時々唸ったりした

2.ピアノを弾きながら、あいた片手で指揮をする癖があった

3.極端に低いピアノ椅子で弾いた(父親が作った折り畳み椅子を持ち歩いた)

4.演奏前に30分間お湯に手を入れて温めた

5.人気の絶頂期に突然コンサート活動を止め、スタジオにこもる

6.ピアニストなのに、生涯ショパンを1曲も弾かなかった(←これは間違い、1970年7月23日 、1950年9月1日 に弾いた記録あり)https://www.youtube.com/watch?v=cx0pQBxBiX8

7.夏でも、コート、マフラー、帽子(手袋も)を身に着けていた

8.食事はビスケットとフルーツジュース、大量のサプリメントだった

9.生涯独身で愛犬と暮らし、遺産の多くを動物愛護団体に寄付した

10.夏目漱石の小説 「草枕」 を愛読していた

 

変人と言われながらも、デビューアルバム 「バッハ/ゴールドベルク変奏曲」 が衝撃的な演奏で世界の注目を集め、当時クラシック・レコードのベストセラーになりました。

その後は、神がかり的なバッハの演奏で名声を高め、稀代の天才ピアニストと評されるようになるのです。


1982年10月4日、亡くなったグールドの枕もとに、夏目漱石の小説 「草枕」 が置いてあったと聞いたことがあります。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 (草枕の有名な冒頭の一節)

強烈な個性で人と交わらず、芸術のために妥協を許さなかったグールドは、周囲との意見の相違でいつも対立が絶えませんでした。

~ とかくに人の世は住みにくい ~  草枕の言葉が身に沁みたことでしょう。


しかし、ピアノに向かって音楽に没頭している時、グールドは
安らぎを得ていました。

聞く者にこの世(人の世)のことを忘れさせてくれない音楽は、それができる音楽より本質的に劣っていると私は思う。  グレン・グールド

グールド自身もまた 「この世(人の世)」 を忘れて弾いていました。 聴いている私たちも、「この世(人の世)」 を忘れ、至福の時間をグールドと共有していたのだと思います。


~ とかくに人の世は住みにくい ~

この日、永遠の安息がグールドに訪れました。 安らかにお眠りください。

 

バッハ ゴールトベルク変奏曲 「アリア」 が、心の中で聴こえる夜に・・・

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