名画読本 (本の紹介No.021)
以前、どこかの美術館のショップで購入した本ですが、この本は単なる名画鑑賞の手引き書ではありません。
「絵も人間と同じ。肩書きで判断してはいけない!」 として、世間でいう名画そのものに疑問を呈し、本物の名画の鑑賞術を具体的に教えてくれる本です。
例えば、著者の赤瀬川氏によると、
ユトリロの 「コタン小路」 (下図左)は、「街」 という文字そのものに見える。
左に 「彳」 があって、右に 「亍」 があり、真ん中に挟まれて「土」 が二つ重なっている。
ユトリロは 「街」 という漢字は知らなかったが、私にはこの画面に 「街」 の字がぴたりと重なる。
と解説しています。 なるほど、こういう鑑賞眼もあるのです。
また、有名なルノワールの「ピアノを弾く少女」 (上図右)については、
下手な絵である。色が汚くて、筆先が説明ばかりしている。ピアノの音なんてぜんぜん聞こえてこない。
下手でも、面白くて鮮やかで、見ていて飽きない絵もあるが、この絵は下手なだけで、どこといって面白くもなく、鮮やかなところは何もない。
と、一刀両断に切り捨てています。 さらに、
このピアノを弾く少女の手が、もう何日も風呂に入ってないように見える。 よく見ると垢だらけである。・・・清潔感がないのだ。
印象派の画家たちの、すべての絵ににじみ出ていたあの清潔感はどこへ行った。
さらに、さらに、
手も垢だらけだし、このワンピースもぜんぜん洗っていない。・・・カーテンもそうだ。このカーテンを引いたりしたら、埃(ほこり)がもうもうと落ちてくる。
つまり、「説明的」 とはそういうことだ。それらしいというだけで、「それ」 の構造の核心が欠如している。
著者は、名画は肩書ではないと説きます。頭の知識で見るのではなく、自分の感覚で見るものだと説きます。そういえば、ベートーヴェンにでも駄作はあります。どんな芸術作品にも言えることでしょう。
多くの作品に接して、俗にいう 「審美眼」 を磨くことは重要ですが、鑑賞するとは、受け手である私たちの感性に深く関わっているように思います。
この本によって、その 「感性」 を養うことの大切さを学びました。
« ウスリーの赤き流れに | トップページ | 映画 「四月は君の嘘」・ 響きあう音楽 »
「本の紹介」カテゴリの記事
- その言葉、もう使われていませんよ(本の紹介 No.45)(2022.04.08)
- クラシック名曲「酷評」辞典 上下 (本の紹介 No.44)(2021.03.29)
- いまここで~わたしと直傳靈氣®~(本の紹介No.43)(2020.09.14)
- 東京改造計画(本の紹介No.41)(2020.06.01)