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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2016年8月29日 (月)

名画読本 (本の紹介No.021)

以前、どこかの美術館のショップで購入した本ですが、この本は単なる名画鑑賞の手引き書ではありません。

「絵も人間と同じ。肩書きで判断してはいけない!」 として、世間でいう名画そのものに疑問を呈し、本物の名画の鑑賞術を具体的に教えてくれる本です。

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赤瀬川原平/著 光文社 (781円税別)


例えば、著者の赤瀬川氏によると、

ユトリロの 「コタン小路」 (下図左)は、「街」 という文字そのものに見える。

左に 「彳」 があって、右に 「亍」 があり、真ん中に挟まれて「土」 が二つ重なっている。

ユトリロは 「街」 という漢字は知らなかったが、私にはこの画面に 「街」 の字がぴたりと重なる。 

と解説しています。 なるほど、こういう鑑賞眼もあるのです。

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また、有名なルノワールの「ピアノを弾く少女」 (上図右)については、

下手な絵である。色が汚くて、筆先が説明ばかりしている。ピアノの音なんてぜんぜん聞こえてこない。

下手でも、面白くて鮮やかで、見ていて飽きない絵もあるが、この絵は下手なだけで、どこといって面白くもなく、鮮やかなところは何もない。

と、一刀両断に切り捨てています。 さらに、

このピアノを弾く少女の手が、もう何日も風呂に入ってないように見える。 よく見ると垢だらけである。・・・清潔感がないのだ。

印象派の画家たちの、すべての絵ににじみ出ていたあの清潔感はどこへ行った。

さらに、さらに、

手も垢だらけだし、このワンピースもぜんぜん洗っていない。・・・カーテンもそうだ。このカーテンを引いたりしたら、埃(ほこり)がもうもうと落ちてくる。

つまり、「説明的」 とはそういうことだ。それらしいというだけで、「それ」 の構造の核心が欠如している。


著者は、名画は肩書ではないと説きます。頭の知識で見るのではなく、自分の感覚で見るもの
だと説きます。そういえば、ベートーヴェンにでも駄作はあります。どんな芸術作品にも言えることでしょう。

多くの作品に接して、俗にいう 「審美眼」 を磨くことは重要ですが、鑑賞するとは、受け手である私たちの感性に深く関わっているように思います。

この本によって、その 「感性」 を養うことの大切さを学びました。


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