調和体を便箋に書いてみる 2
前回に続き、調和体を便箋に書いてみました。
本年、没後60年の詩人 高村光太郎(1883-1956)の有名な詩 「道程」 の一部です。 師匠のアドバイス通りには書けませんが、これが今の実力です。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
この詩を読むと、自然に東山魁夷の代表作 「道」 を思い出します。
東山魁夷 「道」 東京国立近代美術館蔵
東山魁夷 「道」 について次を読むと、高村光太郎の 「道程」 と、東山魁夷の 「道」 には、共通の思いが心底に流れていることが分かります。
切り拓かれ何度も踏み慣らされて、やがてかたちを成してゆく。 人は今までもこれからも、そうやって「道」を作ってゆくのだろう。絵の前に立つと、背中に今まで歩んできた道さえも感じられ、目の前に潔くまっすぐに伸びる道は、私たちに未来へ向かう希望を思い出させてくれる。 (エッセイの卵 より引用 http://www2.plala.or.jp/Donna/kaii.htm)
この作品の象徴する世界は、私にとっての遍歴の果てでもあり、また、新しく始まる道でもあった。それは、絶望と希望を織りまぜてはるかに続く一筋の道であった。 (東山魁夷の言葉 私の履歴書—日本画の巨匠 より引用http://www.npopic.info/library/2008/higashiyama_kaii/higashiyama_kaii.html)
険しく孤高とも言える 「道」 をひたむきに歩む、詩人と画家の人生・・・
進む道は先が見えません。しかし、どんなに険しい道であっても自分で切り拓いて行かねばなりません。振り返ると、そこには人生という 「道」 がありました。その 「道」 こそが人生の醍醐味であり、「生きた証」 かも知れません。
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