沖縄慰霊の日
6月23日 沖縄慰霊の日
沖縄県平和祈念公園 平和の火 (故金城幸彦氏撮影 出典 沖縄県平和祈念財団 写真集サイト )
70年前のこの日、日本軍の牛島満司令官が、糸満市摩文仁の丘で自決し、80日間の沖縄戦は終結しました。
「ありったけの地獄集めた(米軍戦史)」 という熾烈な戦闘で、民間人や婦女子を含む20万人(日米で)を超える尊い命が失われました。
とりわけ、少女や子供たちが犠牲になった 「ひめゆり学徒隊」 と 「対馬丸」 の悲劇は忘れることが出来ません。
学童疎開船 「対馬丸」 は、米軍の魚雷攻撃で沈没、1476名が犠牲になりました。この動画は、財団法人 対馬丸記念館の館内で上映されている 「海よ、いのちよ。」 の一部です。
この動画を見て思いました。どうしてこんな悲劇が起きてしまったのでしょうか? そもそも戦争は回避できなかったのでしょうか?
当時の日本はどんな状況下にあったのでしょう? 世界の中で孤立していったのは何故でしょう? その時、国会は何をしていたのでしょうか? 外務省の役人は何を考えていたのでしょう?
日中戦争で陸軍の取った行動は正しかったのでしょうか。 大東亜共栄圏という構想はどんな中身だったのでしょう。
そして、国民は何を考え、メディアは何を伝え、教育者は何を教え、宗教家は何を説き、学者や思想家は何を主張していたのでしょうか?
そうして、太平洋戦争への道は、知らず知らずのうちに大河となって、もう誰も逆らうことが出来ないほど強大になり、真珠湾の朝を迎えるのです。
私たちは、先の大戦を検証しつつ犠牲者を悼み、決して戦争を風化させることなく後世に伝える義務があります。
日本人として決して忘れてはならない慰霊の日が6月23日です。 合掌。
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