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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2015年6月23日 (火)

沖縄慰霊の日

6月23日 沖縄慰霊の日

 

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沖縄県平和祈念公園 平和の火
 (故金城幸彦氏撮影 出典 沖縄県平和祈念財団 写真集サイト )

 

70年前のこの日、日本軍の牛島満司令官が、糸満市摩文仁の丘で自決し、80日間の沖縄戦は終結しました。

「ありったけの地獄集めた(米軍戦史)」 という熾烈な戦闘で、民間人や婦女子を含む20万人(日米で)を超える尊い命が失われました。

とりわけ、少女や子供たちが犠牲になった 「ひめゆり学徒隊」 と 「対馬丸」 の悲劇は忘れることが出来ません。

 

学童疎開船 「対馬丸」 は、米軍の魚雷攻撃で沈没、1476名が犠牲になりました。この動画は、財団法人 対馬丸記念館の館内で上映されている 「海よ、いのちよ。」 の一部です。 

この動画を見て思いました。どうしてこんな悲劇が起きてしまったのでしょうか? そもそも戦争は回避できなかったのでしょうか? 

 

当時の日本はどんな状況下にあったのでしょう? 世界の中で孤立していったのは何故でしょう? その時、国会は何をしていたのでしょうか? 外務省の役人は何を考えていたのでしょう?

日中戦争で陸軍の取った行動は正しかったのでしょうか。 大東亜共栄圏という構想はどんな中身だったのでしょう。

そして、国民は何を考え、メディアは何を伝え、教育者は何を教え、宗教家は何を説き、学者や思想家は何を主張していたのでしょうか?

そうして、太平洋戦争への道は、知らず知らずのうちに大河となって、もう誰も逆らうことが出来ないほど強大になり、真珠湾の朝を迎えるのです。

 


私たちは、先の大戦を検証しつつ犠牲者を悼み、決して戦争を風化させることなく
後世に伝える義務があります。

日本人として決して忘れてはならない慰霊の日が6月23日です。 合掌。

 

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