民間人の戦死者 ~戦争を憎む~
イスラム国によって野蛮にも日本の民間人が殺害されたもようである。
戦後70年戦争をしなかった日本は、一人の戦死者も出さなかった(※)が、今回の事件は民間人の戦死者と言っても良い。
中東では、2004年小泉政権下でも、日本人青年が犠牲になっているが、紛争地での邦人救出は容易でないことが今回再認識された。弱者が狙われ犠牲になっている。これは民間人の戦死である。
イスラム国の蛮行は断じて許せるものではないが、今回の安倍首相のイスラム国空爆支持と、周辺各国に総額2億ドルの支援を表明したことが、この事件の引き金になったことは否めない。ただ、私は安倍首相を責めるつもりはない。バラマキ外交は今に始まったことではない。表向き、日本は国際社会と歩調を合わせたに過ぎない。
そもそも、イスラム国誕生の背景には、「サイクス・ピコ協定」と言う欧米帝国主義による世界支配の構図に対するイスラム陣営の反発があることは見落とせない(植草一秀氏)。そうだとすれば、欧米による力の支配構造が今日の世界中の紛争の一因とも言える。
9・11以来、米国はテロとの戦いを大義名分に、アフガン侵攻、イラク戦争、そしてイスラム国爆撃に突き進んで来た。日本は同盟国として常に米国を支持している。「テロに屈しない」とは正義感に満ちているが、テロを作り出したのは誰なのだろう。戦争で莫大な利益を得ている者はいないのか。戦争は意図的に仕組まれているのではないだろうか。
真実は闇に葬られ、都合の良い大義名分が闊歩する。
「戦争の最初の犠牲者は真実である When war is decleared, Truth is the first casualty.」 と言う有名な言葉もある。
もちろん、そんなことは分かっていても、ハッキリ言えないのが外交だろう。もっともらしい建て前が優先するのが政治の世界であり、本当のことを言うのは得策ではない。世界の大勢を見れば、長いものに巻かれろというのが正解になる(長いもの=国際社会=米国の意向)。それが自国の利益につながると現政権が判断したなら仕方がないだろう。
しかし、いつの時代も戦争で犠牲になるのは兵士だけではない。多くの無辜の市民が尊い命を亡くしている。今もイスラム国への空爆によって市民が犠牲になっている。大義名分とは、自国にとって都合の良いことであって、人類にとっては何の意味もなさない。国際社会がいつも正義とは限らない。
もういいかげんに、私たちは気づくべきではないだろうか。戦争に大義名分も正義もない。ただあるのは、流血と死体の山、親を亡くした子、子を亡くした親、悲しみ、慟哭、嘆き、恨み、憎しみ、憤り、無力感、荒廃した国土・・・
ありとあらゆる不幸。
私は戦争を憎む。
今回の事件から、あらためて人命の尊さ、平和の大切さを考えていこうと思った。
※朝鮮戦争下、機雷除去中の事故で、当時の海上保安庁隊員が1名殉職している。
※シベリア抑留で多くの日本人捕虜が、終戦後に非業の死を遂げた。
※沖縄では米軍基地が関係する事故、事件で、日本の民間人が多数亡くなっている。
上記の3例の犠牲者は、戦闘中ではないが、広義では戦死と呼んでも良いと思う。
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