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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2014年9月 3日 (水)

君が代について考える そして野々村彩乃という歌手の存在

最新のNEWSポストセブンによると、オーストラリアのゴールドコーストで行われた、水泳のパンパシフィック選手権の、日本人の表彰式において流れた「君が代」に前奏が付いていたとして、ニュースキャスターの鳥越俊太郎氏が、

「こんな君が代は聞いたことがない!」 と発言し波紋が広がっている。

国旗が掲揚される国際的な表彰式で、君が代に前奏が付くのは確かにおかしい。前奏が付いたら2小節分繰り返しになり、聴いていても不自然だし、正式な国歌ではなくなってしまう。

法律(国旗国歌法)でも、「国歌としての君が代に前奏はない。」と明記してある。

では何故前奏は付いてしまったのか。 

それは、国歌は歌うものという考え方に基づいている。 国歌は、国の歌なので歌うのは当然で、その意味では前奏があった方が歌い易いだろう。

そもそも日本では長い間、君が代論争があり(今でも続いているが)、国歌を歌うこと自体が問われてきた経緯がある。 不思議な現象だが、まだ国民に国歌「君が代」が定着していないのではないだろうか。

ソチ五輪の時、表彰台の羽生結弦は、君が代を歌っていた。このシーンは誰もが覚えているだろう。

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もちろん、この時は前奏はなかった。(ちなみに演奏は読売日本交響楽団CDを使用)


前奏のある、なし議論をきっかけに、「君が代」について考えたが、ネットを見ていて、何と再生回数が200万回を超える凄い「君が代」を見つけた。

野々村彩乃さん(現在、大阪音大声楽家4年)。彼女が高校3年生の時歌った「君が代」は、今まで聴いたどの「君が代」より素晴らしいのではないだろうか。

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必見➡ 第82回選抜高校野球大会 野々村彩乃 国歌独唱

参考➡ 2015・2・28 FUJI XEROX SUPER CUPでの野々村さんの君が代動画↓

https://www.youtube.com/watch?v=RuLiyW0Inx8

動画サイトでは、神がかっているなどと絶賛されているが、確かに彼女の声には魅了される。 声に密度と奥行、重量感があり、高校生とは思えない豊潤な声に圧倒される。高音域にかけては、突き抜けるような迫力と広がりを感じる。特に声の密度と重量感は、歌詞の厳かで崇高な内容に一致する。絶品と言えるだろう。

大学生の野々村さん、今後のさらなる成長が楽しみである。 オペラ歌手として世界に羽ばたく日は遠くない。

その後のニュース ■ 2016年3月29日 ニューヨーク カーネギーホールリサイタル 

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