変節する公明党3 下駄の石
「 踏まれても付いて行きます下駄の雪。 」 かつて、ある自民党幹部が、公明党の政治姿勢を揶揄して述べた有名な一節である。
私は、別に公明党が憎い訳ではない。むしろ自民党の暴走にブレーキをかける良識ある政党として、多くの有権者から評価されてきたことは認めている。特に結党以来50年、平和と福祉の党としての実績は大きい。
しかし、自民党と連立を組んで15年、その多くを与党の一員として政権に留まるうちに、いつの間にか自民党と一体となってしまった。 自公連立ではなく、もはや「自公党」といっても過言でないほど自民党にベッタリくっ付いている。
最初はポーズをとって反対しても、必ず最後は自民党にすり寄っていく政治姿勢は、冒頭の「下駄の雪」ではなく、実は「下駄の石」だと言われるようになった。 雪は温かくなれば溶けて下駄から離れるが、公明党は何があっても、どこまでもどこまでも自民党から離れない。
特定秘密保護法、消費増税、原発再稼働など国論を二分する重要テーマで、公明党は自民党に追従するばかりだ。
今回の集団的自衛権の行使容認も、公明党の合意で7月1日に閣議決定される見通しだが、この日は歴史に残るターニングポイントになると思う。 専守防衛の日本の平和主義が、今回の九条の解釈改憲で「海外で戦争の出来る国」へ大転換する日になるだろう。
その責任の重さを、公明党はどう考えているのだろうか。 自党のアイデンティティを捨ててまで政権にとどまりたいのなら、「平和の党」などと言った看板は下ろしてもらわねばならない。
今後、米国主導の紛争が起きて、自衛隊が派兵され、もし戦死者が出たらどうなるだろう。自衛隊員の募集が困難になって、日本も韓国のように徴兵制を導入せざるを得なくなるだろう。 日本の歴史の針は完全に逆に動き出す。
対馬丸の慰霊のニュースを見て、邦人を救うという名目で行われた戦争が、最後は婦女子を含む民間人に多くの犠牲を強いることを忘れてはならないと思った。
自浄能力のない都議会も、暴走を止められない国会も、それらを批判出来ないメディアも空しく思えるが、一番残念なのは、主権者たる私たちが政治に関心もなく無知なことだ。法治国家の日本では、政治がすべてを決める。今日の生活も、将来の日本も、すべて政治(政治家)が決めるということを知って欲しい。 そのことは歴史が証明している。
その政治家を選ぶのは、主権者たる私たちである。 早ければ今秋10月にあるかも知れない総選挙。 今度こそ良く見極めて国民の代表を選びたい。
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