子供たちの消えた公園
町の公園から子供たちの歓声が消えて久しい。
ある土曜日の午前 閑散とした公園
ランドセルに防犯ブザーを付ける時代である。
誘拐、ワイセツなどの事件も多発し、公園は親がいなければ安全な遊び場とは言えなくなった。
砂場はバイキンがウヨウヨ、遊具は壊れて大怪我、などとニュースは伝える。
一部のPTAでは、公園で遊ばせないよう注意喚起しているほどだ。
これなら、(門を閉ざした)学校の校庭の方が安全である。しかし土日は少年野球などに解放している学校もあるが、多くの学校では土日も放課後も解放していない。何か事故があったら困るからだ。
スポーツ少年団や地域のスポーツクラブ、サークル活動も存在するが、大多数の子供たちは、家庭内のゲーム機で遊んでいるか、塾や習い事へ通っているのではないか。
もう町の公園の存在価値はなくなったかも知れない。
そして考えてみれば、ブランコ、すべり台、シーソーの「公園三種の神器」は時代にマッチしているとは思えない。今どき、これらの遊具で喜ぶ子供はいるだろうか。大人が考えた遊具で、「これで遊びなさい」、と言っても無理があるような気がする。
ミニアスレチックのある公園はどうだろう。大人も子供も楽しめて健康作りにも役立つ。アスレチックの他にも、バスケットのゴールや、ミニパターゴルフ、全天候型(?)のランニングマシンなどあったら面白い。
ちょっとした休憩スペースを設けて、テーブルとイスを置き、手軽なピクニック気分でお弁当を食べたり、近所の人たちとお茶を飲んだり語らいの場にしたらどうか。
野鳥が来るように水飲み場を作ったり、一角には花壇を作り、近所の人たちに開放し、思い思いの花を植えてもらったらどうか。
すでにそのような取り組みはあるように聞くが、要は考え方次第で公園の姿は変わるはずである。
公園は子供たちの遊び場から脱皮して、地域の健康作りや、自然との触れ合い、そして何よりコミュニケーションの場として、お年寄りから赤ちゃんまで利用できる施設になることが望ましい。
地域住民、自治体が一体となって、公園再生を考える時がきた。思考停止は大敵である。
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