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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2014年1月18日 (土)

母の愛

1月16日、小野田寛郎(おのだひろお)さんが91歳で亡くなった。

小野田さんは、終戦を信ずることなく、戦後30年もの間フィリピン・ルバング島に潜伏し、日本に生還を果たした旧日本陸軍の小野田元少尉のことである。

30年間の密林生活は想像を絶する過酷な日々であったはずである。やがて戦友も死んで、たったひとりになっても彼は密林を出ることはなかった。無人島に漂着した、あのロビンソン・クルーソー(架空の小説)も驚くほどの実話がそこにあったと思う。

そして、1974年3月に、彼は生きて祖国に帰ることが出来た。その時、息子を出迎えた老いた父母の喜びは如何ばかりであったろう。

それにしても、はたして男ひとりで、何十年もの間ジャングルで生活出来るものだろうか?その可能性は極めて少ないと思う。


ここに一つの事実がある。

実は、小野田さんのお母さんは、息子の生存を信じて、毎日「陰膳(かげぜん)」を供えていたのである。陰膳とは、無事を祈って供える食事のことである。30年間毎日欠かさず「陰膳」は供えられた。

その母の気持ちが天まで通じたのだろうか・・・。 彼は無事生還した。


その時、お母さんが詠まれた句が、

「陰膳も果てとなりけり梅の花」

その年の梅の花は、とりわけ美しく感じられ、毎日毎日無事を祈って供えてきた食事も、本当にこれで終わったんだという安堵感と、息子に会えた無上の喜びがよく表れている一句だと思う。

小野田さんは天上に旅立たれ、今、お母さんに抱かれて涙しているのではないだろうか。


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