母の愛
1月16日、小野田寛郎(おのだひろお)さんが91歳で亡くなった。
小野田さんは、終戦を信ずることなく、戦後30年もの間フィリピン・ルバング島に潜伏し、日本に生還を果たした旧日本陸軍の小野田元少尉のことである。
30年間の密林生活は想像を絶する過酷な日々であったはずである。やがて戦友も死んで、たったひとりになっても彼は密林を出ることはなかった。無人島に漂着した、あのロビンソン・クルーソー(架空の小説)も驚くほどの実話がそこにあったと思う。
そして、1974年3月に、彼は生きて祖国に帰ることが出来た。その時、息子を出迎えた老いた父母の喜びは如何ばかりであったろう。
それにしても、はたして男ひとりで、何十年もの間ジャングルで生活出来るものだろうか?その可能性は極めて少ないと思う。
ここに一つの事実がある。
実は、小野田さんのお母さんは、息子の生存を信じて、毎日「陰膳(かげぜん)」を供えていたのである。陰膳とは、無事を祈って供える食事のことである。30年間毎日欠かさず「陰膳」は供えられた。
その母の気持ちが天まで通じたのだろうか・・・。 彼は無事生還した。
その時、お母さんが詠まれた句が、
「陰膳も果てとなりけり梅の花」
その年の梅の花は、とりわけ美しく感じられ、毎日毎日無事を祈って供えてきた食事も、本当にこれで終わったんだという安堵感と、息子に会えた無上の喜びがよく表れている一句だと思う。
小野田さんは天上に旅立たれ、今、お母さんに抱かれて涙しているのではないだろうか。
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