海を渡る蝶
久しぶりに絵の師匠に会ったら、自分が好きだと言う 「一行詩」 を紹介してくれた。
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」
ちょうちょうが一匹、だったん海峡を渡って行った。
詩人、安西冬衛(あんざいふゆえ)の作った 「春」 と題する詩であった。
何という鮮烈な響きであろうか。
韃靼とは、だったんと読み、タタール人のことを指すらしい。(ボロディンのだったん人の踊りも同様)
だったん海峡とは、間宮海峡のことで、樺太(サハリン)と、ユーラシア大陸の間の海峡をいう。
もし、この詩が、「間宮海峡を渡って・・・」 であったら、迫力がない。 韃靼(だったん)の二文字が強烈に印象に残る。
それにしても、渡り鳥ならいざ知らず、あの可憐な蝶が、海を渡れるのだろうか。
でも以前TVで見たことを思い出した。
海を渡る勇敢な蝶はいるようだ。その姿を、安西冬衛は見たのだろうか。
調べてみると、彼は病に伏せて大陸に留まり、樺太(当時は日本領)に帰ることは叶わなかったらしい。
彼は、蝶を見てはいない。
故郷に帰れない自分の気持ちを、蝶に託して、蝶を見送ったに違いない。
詩情あふれる詩だが、切なくもある。
解釈は色々できるが、私は、この詩は 「人間の生きざま」 を詠んだ詩ではないかと考え た。
春とはいえ、まだ寒風吹きすさぶ洋上を、果たして蝶は無事に故郷(樺太)にたどり着けたのであろうか。
飛び立ったら、決して、戻ることも休むことも許されない決死の旅立ちである。
ひたすら羽を動かし、必死に飛び続けるしかない。人生にはそんな厳しい時期がある。
しかし、ある瞬間、追い風が吹いて、蝶はうまく風に乗った。自然に任せ、蝶はひらひらと宙を舞った。 が、そんな蝶を渡り鳥が狙っている。蝶も油断できない。
自然と蝶が織りなす壮大なドラマがそこにある。
絵の師匠は、自分の人生をこの蝶に重ねたかも知れない。
大自然の中で生かされている私たちは、この蝶の純真な生きざまと覚悟を学ぶべきではないか。
たった18文字の詩が、こんなにも心を豊かにしてくれるものかと改めて思った。
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