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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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壺中日月長とは

  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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カテゴリー「令和「御朱印の旅」」の3件の記事

2019年7月 7日 (日)

令和「御朱印の旅」その4

来年(2020年)のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの寺院を訪ね、それぞれ御朱印を授かって参りました。

■ 天龍寺
明智光秀が生まれてから30年を過ごしたとされる明智城(可児市)、その「大手門跡」からすぐの所に天龍寺はあります。
歴代明智氏の墓所があり、明智光秀の位牌もあります。この位牌は6尺1寸3分(1m80cm以上)あり日本一だそうです。参拝の人影はなく、私も静かにお参りさせていただきました。

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■ 崇福寺
本能寺の変で、信長・信忠父子が光秀に討たれると、信長の側室お鍋の方がその遺品を寺内に埋め、位牌を安置させました。
織田信長公の菩提所として、現在も信長・信忠父子の廟所があります。私の母方の菩提寺でもあり、有難いご縁をいただいております。

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■ 常在寺
斎藤家の菩提所で、斎藤道三と息子義龍の画像(重文)があります。ご住職の話では、先日、「麒麟がくる」で道三役を演じる俳優の 本木雅弘さんが寺を訪れたそうです。

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人物相関図(下図)を見る限り、明智家の娘(小見の方)が斎藤道三と結婚して、生まれた濃姫が織田信長に嫁いでいます。すなわち、明智家、斎藤家、織田家は親戚関係です。
戦国時代は政略結婚が一般的でしたが、利害が対立すれば戦になり、当事者の人生は翻弄されました。

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のちに、徳川三代将軍 家光の乳母になる春日局(かすがのつぼね)は、明智光秀の家来であった斎藤利三(としみつ)の娘です。春日局が4歳の時に「本能寺の変」が起き、父斎藤利三は明智光秀と共に織田信長を討ちます。しかし、その数日後「山崎の戦い」で豊臣秀吉に敗れ、父利三は処刑されます。
しかしその後、家光の乳母となり、春日局は大奥を舞台に絶大な権勢をふるいました。

明智家も斎藤家も織田家も徳川家も浅からぬ関係で結ばれておりながら、常に権力闘争に明け暮れていた訳ですが、最後は春日局の天下になったことは歴史のドラマ性を物語っています。

御朱印の旅は、歴史を学ぶ旅でもありました。(家系図は諸説あります)

 

2019年6月29日 (土)

令和「御朱印の旅」その3

プレミアムフライデーの昨日、岐阜城の御朱印(左)を戴いてきました。織田家、斎藤家、明智家の家紋入りで、「岐阜城」の金文字が鮮やかです。

300円ですが、メルカリで5000円で売っていました(すぐSOLD OUT)。これは神社仏閣の御朱印ではなく、登城記念のカードのようなものですから、ネットで売買されても違和感はありません。ただ、5000円には驚きました。

この近くに、来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」のドラマ館が建つ予定ですが、きっとこの御朱印(カード)も飛ぶように売れると思います。

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右は、乙津寺(おっしんじ)通称「鏡島弘法(かがしまこうぼう)さん」の御朱印ですが、弘法大師の金のスタンプは、毎月21日の縁日の日だけ押して戴けるものです。

尚、地名の由来は、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)がこの地に赴き、秘法を用いて龍神に向け「鏡」をかざしたところ、この地が桑畑に変わったということから「鏡島(かがしま)」と名づけられたと言います。翌年、真言宗乙津寺を建立。 (史実かどうか不明)

弘法大師は「弘法筆を選ばず」や「弘法も筆の誤り」にあるように、書の大家で三筆のひとりでした。私も少しでも上達するようお願いしてまいりました。

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夕暮れ迫る 乙津寺。縁日の露店も店じまいして参拝客もまばらでした。

 

 

 

2019年6月17日 (月)

令和「御朱印の旅」その2

今夜は梅雨の晴れ間に満月が輝いています。この満月を別名「ストロベリームーン」と呼ぶそうです。

先ほど、近くの溝旗(みぞばた)神社にお月夜参りに行ってきました。

この神社には、満月の夜にしか戴けない貴重な御朱印があります。

御朱印と言っても朱印ではなく、左下に白い日付印「令和元年旧暦皐月満月の刻」を押して戴けます。手書きではありませんが、黄金色の満月と金文字が美しく輝いて、本当に今夜の満月のようです。

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溝旗神社のご祭神は、素戔鳴尊(スサノヲノミコト)別称「牛頭天王(ゴズテンノウ)と天照大神です。除災開運を祈念してまいりました。

さて、令和に入って、これで10社寺をお参りさせていただき、それぞれに御朱印を授かってまいりました。少し不謹慎ですが、御朱印を集めることが楽しくなった今日この頃です。次回はどんな御朱印と巡り合えますでしょうか。