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書の作品

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    師匠である 安田朴童先生、馬淵仙園先生のお手本を見て書かせていただいています。少しですが自己流の書もあります。 まだまだ未熟ですが、精進して参りますので、ご支援の程お願い致します。

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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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カテゴリー「戦後70年関連記事」の13件の記事

2016年9月29日 (木)

文化は国境を越える/オバマとの面会の意味

2016年、アメリカのオバマ大統領は日本とキューバを訪問しました。その時実現した面会シーンは世界中に報道され大きな感動を呼びました。

~ 日本でのシーン ~

今年5月、広島から世界に配信された「オバマ大統領と森重昭さん(79)の抱擁の瞬間」。

被爆者である 森さんは、40年間 たった一人で 「被爆死した米兵捕虜」 の調査を行ってきた人です。

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■ 森さんは、ヤマハの社員でした。

当時8歳の森さんは、爆心地から2,5Kmで被爆しました。言語に絶する体験を経て、30歳で 「ヤマハ」 に入社しましたが、休日を利用して膨大な資料を調査し、関係者を訪ね、被爆死した12名の米兵捕虜を突き止めたのです。

ヤマハ在職中に、「世の中が平和でなければ音楽は栄えない。」 と実感し、「平和」への思いを強く持たれるようになったそうです。

生き残った者の使命として真実を後世に伝え、人種を越えて平和を希求してこられた森重昭さん。 その奥様(ソプラノ歌手)もまた、平和への祈りを歌い続けてみえます。

※ 参考 ヤマハ社内報 「Symphonia」



~ キューバでのシーン ~

昨年4月、米国とキューバは54年ぶりに国交を回復しました。

中米パナマでの首脳会談に続き、今年(2016年)3月には、88年ぶりに米国大統領がキューバを訪問し、両国の新たな時代の幕が開けました。

この時、ラウル・カストロ氏と共にオバマ氏を出迎えたのが、キューバを象徴するバレリーナでキューバ国立バレエ団芸術監督のアリシア・アロンソ(95)さんでした。

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アリシアさんは、20世紀バレエ界において最も偉大な人物の一人ですが、若い頃に渡米して、アメリカン・バレエ・シアターで活躍していました。

■ 盲目のバレリーナと、映画 「ホライズン」

視力を失いながらも踊り続け、バレエ界で最高位の“プリマ・バレリーナ・アッソルータ”の称号を得た伝説のバレリーナ、アリシアさん。

オバマ大統領も敬意をもって面談したことでしょう。


この度、困難を乗り越えて挑戦を続けた盲目のバレリーナの驚くべき人生が映画化されました。

映画 「ホライズン」 (原題"Horizontes") 2016年11月12日(土) ~ 全国ロードショー

映画 「ホライズン」 公式サイト



人種を越えて「平和」 を渇望した被爆者の森
重昭さん、失明しても希望を失わずバレエ界の頂点に立ったアリシアさん。

その二人と、オバマ大統領との面談は何を意味するのでしょうか。

戦争やテロを抑止するものは、決して軍備増強や核兵器開発ではありません。真に人類に和解をもたらす力は、芸術の普遍性と崇高さにあると思います。

対立からは何も生まれません。芸術という媒体を通して 「心を通わせる」 ことが、国境を越え、「平和に至る道」 の第一歩だと信じます。

2016年8月28日 (日)

ウスリーの赤き流れに

演劇については全くの門外漢ですが、知人の薦めで 「ウスリーの赤き流れに」 という舞台を観る機会に恵まれました。

ウスリーとは、ユーラシア大陸の北東部を流れるウスリー川のことで、戦時中は満州国(日本が統治)と、ソ連の国境をなす要所でした。

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その要所にあった関東軍の 「虎頭(ことう)要塞」 の攻防では、
日本が無条件降伏した昭和20年8月15日を過ぎても、ソ連軍の猛攻により、民間人を含む日本の国境守備隊など2千数百名が命を落としました。

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画像出典  虎頭要塞日本側研究センター

終戦後に何故このような悲劇が起こったのか? 生き残った日本兵3名の証言をもとに製作されたのが 「ウスリーの赤き流れに~1945年8月の証言」 です。 (今回は平成12年初演の再演)

戦後71年、戦争を決して風化させてはいけない!と言う決意と、反戦の強いメッセージを感じる公演でした。 役者さんのセリフに 「平和の願い」 が込められていました。

しかし戦争体験者は減って風化は進んでいます。 戦争の生き証人で、反戦を訴え続けたジャーナリスト むのたけじさんも、先日101歳で他界されました。


誤った国策により他国を侵略し、遂には熾烈な沖縄戦、本土空襲、原爆投下、そしてソ連の参戦による在留邦人の悲劇、シベリア抑留。 非人道的で理不尽な状況下で、310万人もの日本人が犠牲になったのです。

本公演は、「平和」 と言う美名のもとに 「戦争が出来る国」 に変貌しようとしている日本の現状に、「強い警鐘」 を鳴らすもので、上演の意義は深いものがありました。


会場近くの公園で、ポケモンGOに興じる多くの若者を見かけました。この平和がいつまでも続くことを願いながら帰途につきました。

2015年12月28日 (月)

戦後70年慰霊の旅 その参  沈黙を破る手紙

少し前の話しですが、この10月7日、京都舞鶴市の 「舞鶴引揚げ記念館」 に行って来ました。  (重い記事ゆえにアップが遅くなりました。)

10月7日は、70年前の昭和20年に、初めての引揚げ船 「雲仙丸」 が舞鶴港に入港した日です。

この日から、昭和33年9月まで13年間に渡り、延べ426隻の引揚げ船が舞鶴港に入港し、664,531人の引揚者が故郷日本に帰って来ました。 (うち、ご遺骨は16,269柱とされる)

しかし、穏やかに晴れ渡る舞鶴港や整備された記念公園からは、当時の悲劇は想像出来ませんでした。

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復元された引揚げ桟橋

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異国の丘、岸壁の母 歌碑


そもそも、舞鶴を訪ねて見たくなったきっかけは、あるテレビ番組でした。

ETV特集 「沈黙を破る手紙~戦後70年目のシベリア抑留~」 (NHK Eテレ 2015・9・5放送)は、旧ソ連の国営ラジオ放送を偶然にも受信した、大阪在住の坂井仁一郎氏が、抑留者の安否情報を、留守家族にハガキで伝えたという番組でした。

当時、多くの留守家族は、何の情報もなく、只々帰りを待つだけで途方に暮れる毎日でしたが、一人の民間人だった坂井氏のハガキが、大きな光明をもたらし、生きる希望につながったのです。

番組サイト  動画サイト→http://www.dailymotion.com/video/x352nv8 (リンク切れご容赦ください)

この記念館には、その当時の手紙が展示してあり、生々しい状況がくみ取れます。

留守家族から坂井氏に届いた 「お礼の手紙」 の一部(修正済)をご紹介します。(生死不明だったご主人は、坂井氏のハガキ通りに無事帰国を果たします。)


お手紙、喜び拝見致しました。

三人の子どもを亡くし、財産を失い、主人は生死不明、一人淋しい淋しい、どん底生活の中に、貴方様からの暖いお便り、どんなに喜こんだ事か、御想像下さい。(中略)死を超へた収容生活、もう何をしても苦しくないと言って居ります。主人と共々、厚く厚くお礼申し上げます。 かしこ


このほど(平成27年10月9日)、
「シベリア抑留に関する資料」 が、ユネスコの世界記憶遺産に登録され、想像を絶するシベリア抑留の資料が再認識されることは、大変意義深いことです。

日本では、戦争を知らない世代が8割を超えました。二度と戦争の惨禍を繰り返さないためにも、私たちは進んで過去を学び、犠牲者を追悼しなければなりません。

戦後70年慰霊の旅は、来年も続きます。

 

2015年8月31日 (月)

戦後70年慰霊の旅 その弐続き

8月下旬、この4月に時間の都合で行けなかった 「東京都慰霊堂」 を訪れました。

この慰霊堂には、関東大震災(1923年)の犠牲者約5万8千人と、東京大空襲(1945年)の犠牲者約10万5千人のご遺骨が安置されています。

(※被災の年を見ると、東京は20年余りの間に、2度も焦土と化した世界でも類を見ない被災地だったのです。)

日本では、全土(200都市超)への無差別空襲で、無辜の市民が50万人~100万人亡くなりました。(数字は諸説あります)

その全ての犠牲者を慰霊する意味で、本年5月に天皇皇后両陛下が、この 「東京都慰霊堂」 を訪れご供花されました。

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戦後70年、目覚ましい日本の復興と今日の平和を思う時、先の大戦で亡くなった310万人の御霊に哀悼の意を表するのは、今を生きる私たちの務めです。

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静寂に包まれた慰霊堂にて、献灯、献香させていただきました。安らかにお眠りください(合掌)。



今回は、赤坂迎賓館の見学を兼ねて計画しました。 慰霊の旅は、まだ続きます。







2015年8月15日 (土)

「ちばてつや 講演会」で平和を考える

「あしたのジョー」 で有名な 漫画家ちばてつや氏の講演会に出掛けました。

ちば氏は、中国奉天で終戦を迎え、命からがら日本へ引き上げて来た経歴を持ちます。

しかし、現地で隠れていた屋根裏部屋での体験が、漫画家の原点になりました。

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当時6歳だった自分(ちば少年)の、死と隣り合わせの戦争体験が、生々しく語られました。 中国残留孤児の背景も分かりました。

国民の8割が戦争を知らない戦後生まれになりました。こうして体験談を聞く機会は少なくなると思います。

戦争を語り継いでいくためにも、今回の機会はとても重要な意味があります。主催者様に感謝いたします。




2015年8月13日 (木)

加害者の視点も忘れてはならない

韓国を訪問中の鳩山元首相は、植民地時代の西大門刑務所跡地を訪れて、モニュメントの前でひざまずき、手を合わせました。 (各社報道)

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沖縄戦や特攻隊の悲劇、 太平洋の島々での玉砕、本土も空襲で焦土と化し、さらに広島・長崎への原爆投下、そしてシベリア抑留。

今、日本は戦後70年の終戦記念日を前に、慰霊と鎮魂の祈りに包まれています。

日本は唯一の被爆国であり、先の大戦で310万人もの人命が失われました。その意味で日本は被害国であり、国民は被害者と言わねばなりません。 祖国のために命を捧げた御霊を追悼するのは当然です。

言うまでもありませんが、戦争ほど愚かなものはなく、戦勝国であっても、ロシアで2000万人、中国で1300万人が犠牲になっています。 ユダヤ人は600万人が殺されました。

どの国も大きな犠牲を払っていますが、その一方で相手国に対し大きな損害を与え、人民を殺傷してきました。 それが戦争なのでしょう。

被害者意識ばかりでは、正しく歴史を見ることが出来ません。

日本が資源を求め、中国や朝鮮を始めアジア地域を侵略したことは歴然たる事実です。

被害を受けたと同時に、被害を与えてきたのです。そのことは正当化できません。

今回、鳩山元首相が韓国で反省と謝罪の意思を表明したことは、加害者の視点に立った立派な行動です。 

ここで言う 加害者の視点とは、被害を与えたことへの痛切な反省と謝罪の念を持つことです。

例によって自虐的だと批判する意見もあるかも知れませんが、史実は曲げられません。もちろん、国益を損ねることはなく、むしろ世界から称賛されるでしょう。 

自国の犠牲者の霊を慰めると同時に、過去の間違いを認め、心からの反省と謝罪の念を持つことは人間として当然です。今回の鳩山元首相の行動を高く評価するものです。


さて、2013年4月、安倍首相は硫黄島で英霊にひざまずきました。滑走路の下に眠る日本兵の御霊に頭をさげて慰霊したのです。

この行為もとても立派なものです。現職の総理大臣が英霊の眠る滑走路に土下座したのです。歴代総理ではもちろん初めてのことでした。

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安倍首相は明日、戦後70年の談話を発表しますが、侵略、反省、お詫びのキーワードは盛り込まれるのでしょうか。

被害者の視点と、加害者の視点の両方を持った正しい歴史認識に立った談話が発表されることに期待します。


2015年8月 9日 (日)

長崎平和祈念式典 谷口稜曄氏の訴え

戦後70年、被爆者の平均年齢が80歳を超え、広島、長崎の悲劇は次第に風化しつつある。

先ごろ、NHKが行った世論調査では、広島、長崎の原爆投下日を答えられない人が全国で7割を超えたという。 (20歳以上の男女約1000人を対象にした調査)

そのような中、広島に続いて行われた長崎平和祈念式典で、被爆者代表の 谷口稜曄 (たにぐち すみてる ) 氏 (86歳)は、「平和への誓い」 の中で次のように訴えた。

「今 集団的自衛権の行使容認を押し付け 憲法改正を推し進め 戦時中の時代に逆戻りしようとしています。 政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は 被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動 思いを根底から覆(くつがえ)そうとするもので許すことはできません。」  (文章と画像はNHKTV画面より)

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谷口氏の焼けただれた背中の写真を見ると、このメッセージの重みが伝わるだろう。


また、田上富久長崎市長は 「平和宣言」 の中で、

「現在 国会では国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが 日本国憲法の平和の理念が 今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には この不安と懸念の声に耳を傾け 英知を結集し慎重で真摯な審議を行うことを求めます。」  (文章と画像はNHKTV画面より)

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と述べ、70年前に心に刻んだ「平和の理念」が、安保法案をめぐって揺らいでいるとし、政府に慎重で真摯な審議を行うよう求めた。


お二人の言葉を聞きながら、昨年の
城臺美彌子( じょうだい みやこ) 氏のメッセージを思い出した。

昨年の記事→ 被爆者代表 城臺さんの訴えに感動した

多くの国民の声に、耳を傾けるかどうかは注視するしかないが、戦後70年談話と共に安保法案の行方に、世界も注目している。

2015年6月23日 (火)

沖縄慰霊の日

6月23日 沖縄慰霊の日

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 (故金城幸彦氏撮影 出典 沖縄県平和祈念財団 写真集サイト )


70年前のこの日、日本軍の牛島満司令官が、糸満市摩文仁の丘で自決し、80日間の沖縄戦は終結しました。

「ありったけの地獄集めた(米軍戦史)」 という熾烈な戦闘で、民間人や婦女子を含む20万人(日米で)を超える尊い命が失われました。

とりわけ、少女や子供たちが犠牲になった 「ひめゆり学徒隊」 と 「対馬丸」 の悲劇は忘れることが出来ません。

学童疎開船 「対馬丸」 は、米軍の魚雷攻撃で沈没、1476名が犠牲になりました。この動画は、財団法人 対馬丸記念館の館内で上映されている 「海よ、いのちよ。」 の一部です。 

この動画を見て思いました。どうしてこんな悲劇が起きてしまったのでしょうか? そもそも戦争は回避できなかったのでしょうか? 

当時の日本はどんな状況下にあったのでしょう? 世界の中で孤立していったのは何故でしょう? その時、国会は何をしていたのでしょうか? 外務省の役人は何を考えていたのでしょう?

日中戦争で陸軍の取った行動は正しかったのでしょうか。 大東亜共栄圏という構想はどんな中身だったのでしょう。

そして、国民は何を考え、メディアは何を伝え、教育者は何を教え、宗教家は何を説き、学者や思想家は何を主張していたのでしょうか?

そうして、太平洋戦争への道は、知らず知らずのうちに大河となって、もう誰も逆らうことが出来ないほど強大になり、真珠湾の朝を迎えるのです。


私たちは、先の大戦を検証しつつ犠牲者を悼み、決して戦争を風化させることなく
後世に伝える義務があります。

日本人として決して忘れてはならない慰霊の日が6月23日です。 合掌。




当ブログ関連記事 沖縄慰霊の日に思う

2015年5月29日 (金)

戦後70年 慰霊の旅 その弐

安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから

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「 鎮魂 」  書家 金澤翔子氏 公式サイトより http://www.k-shoko.org/


慰霊の旅 第二弾は、被爆70年の広島に行って来ました。 修学旅行以来、およそ50年ぶりです。

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最高気温が30度を超えましたが、この日も多くの修学旅行生と外国人観光客が、
広島平和記念公園や平和記念資料館(原爆資料館)を訪れていました。

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美しい公園ですが、重い空気が立ち込めています。 特に原爆資料館は、当時の惨状を伝える遺品、写真などの展示物が、無言の叫び声を上げているようで恐ろしくなりました。 無辜の市民を14万人(その年の12月末までの数字)も殺戮した残虐非道な行為は決して許されるものではありません。

滞在中、資料館には2度足を運びましたが、その都度 ボランティアの方が詳しく説明してくれました。とても良い制度だと思います。 尚、館内は写真撮影OK(フラッシュ禁止)でしたが、さすがに写す気にはなれませんでした。

近接する国立の追悼施設では、被爆者による体験談がありました。 言うまでもなく、被爆体験者はご高齢です。 いつか、体験談を直接聞くことは出来なくなるでしょう。 風化をくい止めるのは戦後生まれの私たちの務めだとの思いを新たにしました。

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世界遺産、「原爆 ドーム」 。 コンクリートの表面が焼けただれ、がれきの中に立つ 無残な姿の 「原爆 ドーム」 ですが、存在感の大きさには圧倒されます。 訪れた人は、世界平和を心に誓わずにいられないでしょう。

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ちちをかえせ ははをかえせ

としよりをかえせ

こどもをかえせ 

わたしをかえせ わたしにつながる

にんげんをかえせ 

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわをへいわをかえせ      峠 三吉

吉永小百合さん原爆詩朗読 ピアノ坂本龍一さん youtube



その夜、広島文化学園 HGBホールにて、チャイコフスキーの交響曲第6番 「悲愴」 他のコンサートがありました。 被爆70年の「広島平和チャリティコンサート2015」 でしたが、巨匠フェドセーエフ
(82歳)指揮、チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ(旧モスクワ放送響)ということで、期待して出掛けました。 (2015・5・28)

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会場は満席に近く、開演前から熱気にあふれていました。 冒頭の弦楽セレナーデは、感情をたっぷり移入して歌わせ、観客を一気に惹きつけましたが、ややピッチが悪く、重い音楽になったのは残念でした。

2曲目の瞑想曲Op.72は、レーピンのヴァイオリンが際立って美しく、オケとの相性も抜群の好演でした。

メインの悲愴は、第1楽章前半のアンサンブルに緻密さが欠け、やや荒削りの感がありましたが、展開部以降は本領発揮、さすがツボを心得ています、ドンドン盛り上がりクライマックスを構築しました。 ただ、ホールのせいもあってか、金管の音が固かったのが気になりました。

良くあるケースですが、3楽章が終わったところで盛大な拍手とブラボーの声がありました。 少し気まずい雰囲気で始めた終楽章は、まさに悲愴感に満ちた演奏でしたが、消え入るように演奏が終わるシーンで、またもや 「バチバチバチ!」 と、無神経な拍手があって、余韻を楽しむどころか、興ざめしてしまいました。

色々ありましたが、演奏は楽しめました。 それに、料金がサントリーホールの3分の1ですから仕方ありません。 

アンコールは大サービスの3曲、スヴィリードフ交響組曲 「吹雪」 よりワルツエコー、 チャイコフスキー 「白鳥の湖」 よりスペインの踊り、 ハチャトゥリアン 「ガイーヌ」 より レスギンカでしたが、どの演奏も文句なく最高の出来でした。

ただ、アンコール曲の貼り紙が間違っていました。「白鳥の湖」が、「くるみ割り人形」と書かれてました。 帰りがけに、多くの聴衆が、それを写していましたが、単純ミスとは言えちょっとお粗末でした。 しかし、広島の地で戦後70年の本年、「悲愴」 が聴けたことは感慨深いものがありました。

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ひろしま美術館で西洋絵画の名品(マリー・ローランサンの花束を持つ婦人など)を鑑賞して、市電に乗車し、広島名物のお好み焼きを食べて帰路に着きました。

行列の出来るお好み焼屋は、店名が私の名前と同じ 「麗ちゃん」 でした。 30分並んだかいもあって、生涯で一番美味しいお好み焼きに出会えました。


考えてみれば、美味しいお好み焼が食べれる日本は平和な国です。そして、平和を満喫しているが故に、戦争は風化して行くのかも知れません。 平和が当たり前の世の中では、別に平和について考える必要もありません。 政治に無関心であっても何の不自由もありません。 

しかし、原発再稼働や基地問題、安保法制、中韓との対立など、日本の現状には危機感が漂っています。 NPT再検討会議は決裂しました。 私たち一人一人が、今こそ平和について考えるべき時ではないでしょうか。 信念に従って行動する時ではないでしょうか。

そのことが、戦陣に散った多くの兵士と、原爆で犠牲になった多くの市民、戦禍に倒れた数知れぬ犠牲者を追悼し、故人の御霊を慰めることにつながると思います。 

慰霊の旅は続きます・・・



□ 戦後70年 慰霊の旅 その壱 (東京編)

2015年4月20日 (月)

慰霊の旅 番外編

慰霊の旅の傍ら、限られた時間内に見聞した記録です。

1.騎龍観音に会う

どうしても見たかった 原田直次郎の 「騎龍観音(きりゅうかんのん)」 を見に 「東京国立近代美術館」 に行ってきました。

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36歳で夭折した原田直次郎の 「騎龍観音」(1890年) 2007年重要文化財指定

日本的な画題と、西洋の宗教画を合わせたような重厚な大作(272×181cm)です。神々しいほどの観音様に、思わず手を合わせたくなる衝動に駆られました。


2.新忠犬ハチ公像

先月、除幕式があったばかりの新しい「忠犬ハチ公像」を見に、東大農学部キャンパスまで行って来ました。

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飼い主だった 上野英三郎博士と90年ぶりに再会した 「ハチ」

渋谷駅前の 「ハチ公像」 は、戦時中の金属供出で失われ、その後再建されましたが、今回の像は、「ハチ公」 没後80年を記念して、有志の寄付により建てられたものです。

上野博士に飛びつく 「ハチ」 の嬉しそうな表情を見に、この日も多くの人が集まっていました。


3.紀尾井ホール、ねむの木の庭、俺のフレンチ

ホテル近くの紀尾井ホールでクラシックコンサートを鑑賞して、帰りに「俺のフレンチ」で食事をしましたが、その美味しさと安さに衝撃を受けました。なるほど行列が出来るはずです。 また、前日見学した 「ねむの木の庭」 は、旧正田邸の跡地に出来た公園です。まだ正田邸があった頃にも来ましたが、今では付近の人の憩いの場になっているようです。バラの時期に来たらもっと感動があったでしょう。

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実は、「出陣学徒壮行の地」 記念碑 や、「わだつみのこえ記念館」 も行きたかったのですが、時間の都合でかないませんでした。

しかし、さくらに囲まれ、天候に恵まれての 「慰霊の旅 その壱」 の目的は達成されました。自己満足の記事をお読みいただき恐縮です。

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