私が幼い頃、母はテノール歌手 五十嵐喜芳の歌ったイタリア民謡のLPレコードをよく聴いていました。母が好きだった歌は「マンマ(Mamma)」という愛らしい歌でした。
今から思うと、母はいわゆる「ハイカラ」だったのでしょう。おかげで私も洋楽が大好きになりました。
※ちなみに、今は亡き母は大正生まれ(若い頃は東京にいて)、二二六事件も関東大震災も、もちろん太平洋戦争も経験しました。激動の時代にあって、音楽は心の拠り所だったかも知れません。
その「マンマ」を作曲した人が今回の主役 フランコ・ビクシオ (イタリア ローマ出身)です。
前置きが長くなりましたが、そのビクシオのもう一つの名曲が「風に託そう私の歌(La Mia Canzone Al Vento)」です。実に爽快な歌です。是非お聴きください。
「Vento」はイタリア語で、日本語に訳すと「風」です。歌の中に何度も出てきます。
■ 第115回 風に託そう私の歌/ フランコ・ビクシオ(Franco Bixio 1950- )
オペラ歌手ルチアーノ・パバロッティが1991年にロンドンのハイドパークで行った伝説のコンサートを、5.1chデジタルリマスターで映画化(公開日 2022年1月14日)した最新映像(予告編)をご覧下さい。
パバロッティの魅力と、「風に託そう私の歌」の魅力が余すところなく伝わり心が躍るようです。風(Vento)が心地よく吹き抜けます。
3日、名古屋市では観測史上初の40,3度の最高気温を記録しました。日本列島は連日「危険な暑さ」が続いています。
あまりの暑さに、俳句の世界に涼を求めてみることにしました。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
有名な松尾芭蕉の「奥の細道」の一句で、出羽国(現在の山形市)の立石寺で詠んだとされています。
意味は、「何と静かなことよ、蝉が岩にしみ入るように鳴いている」 、となりますが・・・
蝉が泣いているなら、うるさいはずです。
何故、うるさい蝉の声を聞きながら「閑さや」と詠んだのでしょう。
ある解説によれば、芭蕉のいう「閑さ(静かさ)」は、現実の世界ではなく、心の中の「閑さ」を指しているようです。
芭蕉は山寺の山上から大地を見下ろし、広大な天地に満ちる「閑さ」を感じ取ったというのです。この「閑さ」は言い換えると宇宙の「閑さ」に通じます。
夏の青空の中で、突然、蝉の鳴きしきる現実の向こうから深閑と静まりかえる宇宙が姿を現わしたというわけです。
「閑さや」の句はこの宇宙めぐりの旅の扉を開く一句なのです。
※参考サイト(NHK View)より一部転記 http://textview.jp/haiku
芭蕉の心境に学び、この暑さを忘れ、広大な宇宙の閑さを感じ取りたいものです。
とてもお世話になった友人が亡くなりました。 享年69歳。
まだ先月、誕生日を迎えたばかりでした。あまりに早いと云うしかありません。
亡くなった日は奥様との41回目の結婚記念日でした。
以前の記事にも書きましたが、私の好きな一句です。虚子の短編小説 「虹」 に出てきます。 短命だったヒロインの愛子を慈しんで作りました。
後年、川端康成は、この小説 「虹」を絶賛しました。
「高く、正しく、確かな文章という点でも、虚子氏の後の作家では志賀直哉氏をみるくらいのものである。しかも老来(年をとってこのかた、の意)「虹」などにいよいよ匂う若さと艶とは世阿弥などの言うまことの『花』であろうか」
(参考サイト http://6004.teacup.com/makichan/bbs/562)
たくさんの人を温かく見守り、青空に浮かんでいた「虹」は消えましたが、演奏家であり、優れた編曲者であり、吹奏楽の指導者であり、コンサートプロデューサーであり、近年は、一流の映像クリエーターでもあった彼の音楽人生は、いつまでも私たちの心の中で生き続けていくことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
三寒四温とはよく言ったもので、今日は比較的暖かな一日でした。
外へ出ると、色彩が少ない街の中はモノトーンに見えますが、赤い寒椿の花にホッとするような安らぎを覚えます。
一つ咲く冬の椿を切りにけり
作者は、東大法学部卒で官僚から俳人になった異色の経歴を持つ 富安風生(とみやす ふうせい1885 - 1979 93歳没)です。
色紙には少し鋭い線で、冬の寒さを強調してみましたが、お手本には遠く及びません。
明日は大寒です。しかし地面の下では春の準備が進んでいるようです。
青森県の八甲田山から初冠雪の便りが届きました。もう本州でも初冠雪となったようです。
中秋の名月も過ぎて、この地方もすっかり秋の気配です。日暮れが早くなり、夜は寒いほどです。
写真 http://photohito.com/photo/4783924/
釣瓶落としのこの時期、秋の夕暮れに望郷の思いを募らせる人も多いと思います。
故郷は 雲のさきなり 秋の暮 一茶
秋の夜長、カズオ・イシグロ氏の 「夜想曲集」 を読もうと思っています。
■ 秋を告げる女郎花(おみなえし)
秋の七草のひとつ 「おみなえし」 、漢字で書くと「女郎花」。
歌人 若山牧水(1928・9・17 43歳没)は、著書 「秋草と虫の音」 の中で、「最も早く秋を知らせるのは何であらう。私は先づ女郎花を挙げる。」 と述べている。
カルチャーセンターで習った先生のお手本を見て、牧水の心情に迫ってみることにした。
女郎花(おみなえし)に対して 「男郎花(おとこえし)」 があるらしい。この歌のように、野辺の端に咲く白い花が男郎花(をとこへし)である。
旅と自然を愛した牧水は、ひっそりと野に咲く男郎花(をとこへし)に心惹かれたのだろうか。 尚、一むら(ひとむら)とは、ひとかたまりの意である。
女郎花咲き乱れたる野邉のはしに一むら白きをとこへしの花 牧水
■ 深まる秋に葉鶏頭(はげいとう)
秋深しピアノに映る葉鶏頭 松本たかし
その鮮やかな姿がピアノに映ると詠んだ句は、能楽師を志し後に俳人になった 松本たかし(1956・5・11 50歳没)の句である。 (能楽師で人間国宝の松本惠雄は実の弟)
ピアノの表面は、「鏡面仕上げ」 と言って鏡のようにピカピカに塗装されている。そのピアノに、庭の葉鶏頭が映っている映像に詩情を感じる。
松本たかしは23歳で結婚している。年上の奥様は当時としては珍しく洋楽のピアノを嗜んだようで、次の句にはピアノに対する新鮮な感動と、妻を得た喜びが表れている。
この夏を妻得て家にピアノ鳴る 松本たかし
夏が去り、秋が訪れ、深まっていく・・・
季節は常に芸術を伴って歩いているように思う。