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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2015年12月28日 (月)

戦後70年慰霊の旅 その参  沈黙を破る手紙

少し前の話しですが、この10月7日、京都舞鶴市の 「舞鶴引揚げ記念館」 に行って来ました。  (重い記事ゆえにアップが遅くなりました。)

10月7日は、70年前の昭和20年に、初めての引揚げ船 「雲仙丸」 が舞鶴港に入港した日です。

この日から、昭和33年9月まで13年間に渡り、延べ426隻の引揚げ船が舞鶴港に入港し、664,531人の引揚者が故郷日本に帰って来ました。 (うち、ご遺骨は16,269柱とされる)

しかし、穏やかに晴れ渡る舞鶴港や整備された記念公園からは、当時の悲劇は想像出来ませんでした。

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復元された引揚げ桟橋

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異国の丘、岸壁の母 歌碑


そもそも、舞鶴を訪ねて見たくなったきっかけは、あるテレビ番組でした。

ETV特集 「沈黙を破る手紙~戦後70年目のシベリア抑留~」 (NHK Eテレ 2015・9・5放送)は、旧ソ連の国営ラジオ放送を偶然にも受信した、大阪在住の坂井仁一郎氏が、抑留者の安否情報を、留守家族にハガキで伝えたという番組でした。

当時、多くの留守家族は、何の情報もなく、只々帰りを待つだけで途方に暮れる毎日でしたが、一人の民間人だった坂井氏のハガキが、大きな光明をもたらし、生きる希望につながったのです。

番組サイト  動画サイト→http://www.dailymotion.com/video/x352nv8 (リンク切れご容赦ください)

この記念館には、その当時の手紙が展示してあり、生々しい状況がくみ取れます。

留守家族から坂井氏に届いた 「お礼の手紙」 の一部(修正済)をご紹介します。(生死不明だったご主人は、坂井氏のハガキ通りに無事帰国を果たします。)


お手紙、喜び拝見致しました。

三人の子どもを亡くし、財産を失い、主人は生死不明、一人淋しい淋しい、どん底生活の中に、貴方様からの暖いお便り、どんなに喜こんだ事か、御想像下さい。(中略)死を超へた収容生活、もう何をしても苦しくないと言って居ります。主人と共々、厚く厚くお礼申し上げます。 かしこ


このほど(平成27年10月9日)、
「シベリア抑留に関する資料」 が、ユネスコの世界記憶遺産に登録され、想像を絶するシベリア抑留の資料が再認識されることは、大変意義深いことです。

日本では、戦争を知らない世代が8割を超えました。二度と戦争の惨禍を繰り返さないためにも、私たちは進んで過去を学び、犠牲者を追悼しなければなりません。

戦後70年慰霊の旅は、来年も続きます。

 

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