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  • ある町に住む薬売りの老人(実は仙人)は、店先にぶらさがっている壺に時々身を隠してしまいます。 壺の中は別天地。時は悠々と流れ、豊かで充実した人生がありました。 人は、心の持ち方で、このような境涯に達することが出来るのでしょうか。 定年後は、「何をしてもいい自由」と、「何もしなくてもいい自由」 を得たのですが、私も壺中日月長の心境で、悠々としながらも豊かで充実したセカンドライフを目指したいと思います。 このブログは、そんな日々の出来事や思いを書き留めたいと始めました。
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2014年2月 2日 (日)

子供たちの消えた公園

町の公園から子供たちの歓声が消えて久しい。 

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    ある土曜日の午前 閑散とした公園


ランドセルに防犯ブザーを付ける時代である。

誘拐、ワイセツなどの事件も多発し、公園は親がいなければ安全な遊び場とは言えなくなった。

砂場はバイキンがウヨウヨ、遊具は壊れて大怪我、などとニュースは伝える。

一部のPTAでは、公園で遊ばせないよう注意喚起しているほどだ。


これなら、(門を閉ざした)学校の校庭の方が安全である。しかし土日は少年野球などに解放している学校もあるが、多くの学校では土日も放課後も解放していない。何か事故があったら困るからだ。

スポーツ少年団や地域のスポーツクラブ、サークル活動も存在するが、大多数の子供たちは、家庭内のゲーム機で遊んでいるか、塾や習い事へ通っているのではないか。

もう町の公園の存在価値はなくなったかも知れない。


そして考えてみれば、ブランコ、すべり台、シーソーの「公園三種の神器」は時代にマッチしているとは思えない。今どき、これらの遊具で喜ぶ子供はいるだろうか。大人が考えた遊具で、「これで遊びなさい」、と言っても無理があるような気がする。


ミニアスレチックのある公園はどうだろう。大人も子供も楽しめて健康作りにも役立つ。アスレチックの他にも、バスケットのゴールや、ミニパターゴルフ、全天候型(?)のランニングマシンなどあったら面白い。

ちょっとした休憩スペースを設けて、テーブルとイスを置き、手軽なピクニック気分でお弁当を食べたり、近所の人たちとお茶を飲んだり語らいの場にしたらどうか。

野鳥が来るように水飲み場を作ったり、一角には花壇を作り、近所の人たちに開放し、思い思いの花を植えてもらったらどうか。

すでにそのような取り組みはあるように聞くが、要は考え方次第で公園の姿は変わるはずである。



公園は子供たちの遊び場から脱皮して、地域の健康作りや、自然との触れ合い、そして何よりコミュニケーションの場として、お年寄りから赤ちゃんまで利用できる施設になることが望ましい。

地域住民、自治体が一体となって、公園再生を考える時がきた。思考停止は大敵である。

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